FE_封印ハード現在6章!
ハードって敵の初期能力が相当底上げされているみたいですけど
説得で仲間になるヤツも能力上がってるんですね
仲間になっても能力そのままだし、ルトガーつええ!
どこかのゲームじゃ説得して仲間になった瞬間ヤクが切れたかのように弱体化するキャラばかりでしたからね
敵時 東方×敗・・・HP48000→味方時 東×不敗・・・HP6800
再三に及んだ説得で仲間になった東方不×、頼もしいぞ!と思ったら
×方不敗「ドモォォォォンわしが本当の戦いを見せてやる!」
ゼゼーナン「ふん、雑魚め」
キュイイイイン ドガーーーン クリティカル6800
東方×敗「ぐわぁぁぁこのわしがぁぁ」
以上、ス××ボにおける黄金パターン
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さて、最近の演出過多なゲームについて思う事。
そのグラフィックはもはや映画にまで進化し、映像作品といっても過言ではないスケールの美麗CGで表現されています
20年前の、線と、暗闇の背景で描かれたゲームグラフィックから、今のゲームはどこまで進化したのでしょうか。
(昔のゲームに黒い背景が多いのは容量を抑えるためだそうで)
何かと今頃の作品を批判する人もいますが、ゲームの面白さそのもの自体は昔から変わっていないと思います
そう考えると昔に確立されたゲームの手法は今なお生き続けていると言う事で、ただただ感嘆するばかりです。
しかし、それに伴ってプレイヤーの楽しみ方は色々変わってきたような感じがします
その中で一番俺が思った事、それはゲーム内の内容を想像して楽しむ遊び方が無くなってきているという事。
今、ゲーム内の殆ど全てが美麗CGによる視覚化により、プレイヤーはゲーム内で起きている状況を直接目から認識できる時代になっています。
キャラのアクロバティックな動き、移り変わる天候、踏みしめた大地のそのディテール・・・
ダイナミックな映像は僕達を楽しませてくれます
あんなに細かく、それでいて派手なグラフィックは驚愕の一言に尽きます。
それは、プレイヤーが映像では足りない部分を、想像で補う遊びがほとんど無くなってきているという事でもあるんです。
一昔前なら、メッセージウィンドウに表示された言葉は
[○○は△△をこうげきした!]
という簡素なものだけでした
・・・このキャラは持っている装備でどのように攻撃したんだ?
[○○は××の剣を手に入れた!]
・・・この武器はどんな形をしている剣なんだよ?
たった一行のメッセージウィンドウから、イマジネーションの世界がどこまでも広がっていく
そんな楽しみ方もゲームという娯楽に確かに存在していた、しているのだよ。
今のプレイヤーにはなかなか認識しづらいものでしょう
ティーンエイジが相手だとこの手の話をすると普通に引かれるという危険性も孕んでいます
まてよ?俺も10代じゃねーか!
グラフィックの進化は素直に喜ぶべきだけど、
その反面想像遊びが衰退しているのは悲しいな~ というお話でした。
「イメージする遊びとは知的な遊びである」 ・・・広井王子
そうそう、イメージ遊びが入る余地のあるゲームって無くなったわけじゃあないんですよ
例えば今やPSPでまで新作を出し続けているアーマードコア。
これはなんと、自分と敵が操作するロボットや戦闘ヘリ以外に、動くモンは画面に出てきません。登場人物は声だけ!
すげぇです、ご自由にトップランカーの顔を想像してくださいッ
(´д`*)・・・・・・って何を想像しているんだ俺(´・∀・`)...
後、最近もう一個イメージの入り込む余地が強いゲームをプレイしたんよ俺。
Wizardry~DIMGUIL~。ウィザードリィシリーズで初めて遊んだんですがこれがかなり面白い。
一部のNPCがグラフィック出てきますが、デブで酒飲んでるオヤジエルフとか、どう見てもチワワなラウルフ(犬人間)とかばっかで最初は笑いました
でもこれは、裏を返せば、同じラウルフでも想像によっちゃチワワにもシェパードにもなるんだな、という事でひとえにスゲエと思いましたよ。
フェルパー(猫人間)と人間のハーフで頭だけに猫の名残りがついてる女とかいたしな。
チクショウ!俺を萌やすな!!
俺もとりあえず修練所でキャラ作ってくるか・・・
性別─女 属性─Evil 種族─エルフ 職業─魔術師 武器───鞭
(´ Д);.がはっ!? (俺萌え死)