歳を取ると心が狭くなる、といわれることについて

歳を取ると心が狭くなる、頑固になる。
人間、加齢とともにそういった心理の変化があることはよく言われている。

でも最近、それって本当に心が狭くなったからなのか?と疑問に思う。

たしかに、自分が若い頃のことを思い返すと、もっとおおらかだった気がする。
どんな意見もまあそういう考えもあるかと流せたし、変な人に出会っても、あ~個性的でいいじゃない?とヘラヘラ笑っていられた、とにかく何でもアリだった。

でも今は、何かが違ってきていると感じる事も多い。
学生の頃は面白がっていたラジオパーソナリティのネタやジョークに対して「いやそれはダメだよ」と思ったり、違和感や怒りを覚えたり、昔なら受け流せたことが、どうしても気になってしまう。

 

これは心が狭くなったということなのか?

僕は、それは少し違うと踏んでいて、それは人生経験が増えた結果なんだと思っている。

若い頃は、まだ何も知らない。
だからこそ、いろんなものに寛容でいられる。言い換えれば、何が地雷かわかっていない状態とも言えるかもしれない。

しかし、年齢を重ねていくと、いろんなことを体験する。

大切な人や、自分自身を傷つける言葉に晒されたかもしれない。
信じていたものに裏切られたことがあるかもしれない。
何かを失った経験があって、それを守るためのルールが自分の中にできたかもしれない。

そうやって、ひとつずつ、ここだけは踏み込ませたくないという領域が増えていく。
自分の中の譲れないラインが、少しずつ形作られていく。それは心が狭くなったのではなく、境界線がはっきりしてきたということなんじゃないだろうか。

若いころはタブーがないから、無邪気に笑って、なんでも許せる。
でもそれは、まだ何も背負っていないことの裏返しでもある。

もちろん、若さには素晴らしい力がある。
未知のものへの柔軟性があり、希望のエネルギーに満ちている。
しかし、何でも笑って済ませることが、正しいのだろうか。
年齢を重ねるというのは、何かを笑えなくなることでもある。
それは決して悪いことではなく、むしろ大切ななにかに出会い、経験を積んだ証でもあると思う。

何に怒って、何を許せるか?それは人それぞれ違う。
これだけは絶対にダメだと思うポイントは、きっと誰にもある。
そしてその地図は、人生という旅の中で一人ひとりが描いてきたものだ。

だから、他人の怒りを見たとき、それを心が狭いと一蹴する前に、この人はどんな経験をしてきたんだろうと少しだけ想像してみるのも、いいかもしれない。年齢を重ねることは、線引きが増えることでもある。でもそれは、自分や誰かを守ろうとする気持ちの裏返しでもある。

そう、心が狭くなったというよりは、ただ大切にしたいものが増えてきただけなのだ。

とはいえ、柔らかさは忘れずに生きていたい。
線引きは増えても、誰かと向き合う余白は残しておきたいと思う。
自分の道を歩んできたのだからこそ選べる、しなやかな距離感の取り方を見つけながら。