「握手のできる距離」という言葉がある。
もしかすると、この言葉を一つのフレーズとして認識しているのは僕だけかもしれない。これはかつて、あるテキストサイトの記事のタイトルに使われていた表現だ。そのサイトはもう存在せず、ウェブで検索してもヒットしない(同じ管理人によるブログが後継として存在するが、今ではほぼスマホゲームの日記サイトになっている)。当時、物議を醸す出来事も多く、賛否両論を呼んだサイトだった。古くからのインターネット愛好家の中には、その名前を耳にして複雑な表情を浮かべる人もいるだろう。学生だった頃の僕はそのサイトに夢中で、まるで人生の師のように思ってもいたが、手放しで肯定できない表現や意見が書かれていたことも同時に理解していた。

それでも僕は、この握手のできる距離という言葉がずっと心に残っていて、ふとした拍子に思い出す。このブログでも、これまでに4度、その言葉を引用している。
そして、つい最近、この言葉に直接繋がる出来事があった。
とある人がいる。その人は『きんつば』さんという。はてなブロガーでもあり、このブログの長年の読者だ。そしてひょんなことから、僕の友人が身内向けに限定公開していたゲームプレイ動画のリスナーにもなっていた。正直、身内で思い出用に残すためだけのプレイ動画だったし、まさかそんなものに反応してくれる人がいたことに、驚きと少しの恥ずかしさを覚えた。
それでも、きんつばさんは言葉を丁寧に選びながら、いつも感想を寄せてくれていた。ネットの海の片隅に投げた小さな石が、思いがけず誰かの足元に届いていたことに、不思議な温かさを覚えた。それから、ぽつぽつとやりとりを交わし、数年という月日が流れた。
そしてついに、東京で会う約束をした。
その日、僕たちは握手のできる距離に立った。
ネット越しに名前だけを知っていた人が、目の前で笑っている。
僕が発した言葉に、タイムラグなしで返ってくる声がある。
思えば、最初からここを目指していたわけじゃない。
文章を書きはじめた時も、ゲームの動画を撮っていた時も、ただ、自分の表現をインターネット上に放り投げてみたかっただけだった。けれど、それを誰かが受け取ってくれて、言葉を返してくれて、気づけば道がつながっていた。
距離という言葉には、どこか冷たさや、断絶の響きがある。
そんな、距離をも、人間は確かに越えていける。
届くはずのなかった言葉が、巡り巡って誰かと交差する。
そんな奇跡が、確かにあるのだ。
昨日、僕らは本当に握手ができる距離にいた。
そして、たとえその距離がまた離れてしまったとしても、
あの時の熱は、これからも僕の中に残り続ける。

きんつばさん、東京に遊びに来てくれて本当にありがとうございました。