へたれゲーム貴族の躁鬱

ゲーマーの雑文記。テキストサイト時代の生き残り。

自分が本当にやりたいゲームを遊び続けるということ。

ゲームがコミュニケーションに大事な役割を果たすようになった昨今、自分がやりたいゲームだけを黙々と遊び続けるのは意外と難しいんじゃないかなと思う機会が増えました。

特定の交友関係やサークルとのコミュニケーションツールとして惰性で決まったゲームを遊び続けたり、または自分自身を発信、表現するモノとして一定のジャンルのゲームに執着せざるを得なかったり、そういう事があちこちで起きているのではないかと。


それで円滑なコミュニケーションが実現出来ているなら全然オッケーというか、むしろ好ましくさえ思います。僕はこのブログでいくつか『ゲームと友達』というゲームを通じたコミュニケーションの思い出を書いています。ゲームが交流の橋渡しをしてくれるなんて最高じゃないですか。

「プレイ人口がたくさんいるからSNS映えする!」「俺といったらこのジャンル。このジャンルの新作に一番乗りしている姿勢を見せたい!」そういった友人や仲間からの反応をも総合すれば、実は気乗りがしなかったりイマイチ面白いと思えないゲームだとしても『本当に今やりたいゲーム』といってしまって良いのかもしれません。

つまりはゲームが従でその他が主という図式。
それだけゲームが色々なものと関わってくる様になったという事でしょう。
その主となるものと従であるゲーム、両方合わせた満足度が高ければそれで良いと思っています。


冒頭の話を投げっぱなしにしてこのまま突っ切りそうだったので一度最初の主題(らしきもの)に戻ります。
多くの人がインターネット上のコミュニケーションに参加する時代ですし、ゲームを中心としたコミュニティに所属する人もいるでしょう。その中で自分の都合だけを優先した『主のゲームプレイ』だけを実現するという事は人によってはきっと難しい。

さらにゲームが従ではなく主の立場にあったとしても、近い事が発生するパターンもあるのではないかと。

例えば
・ゲームプレイを主として考える事が出来るため、興味がなくなった時点で辞めるという選択肢を取れるが、かなり課金してしまい勿体ないという気持ちが従として付きまとい休止しづらい
・ゲーム自体は非常に面白く継続したい気持ちも強いが、運営・開発の方針や施策が著しく不愉快で看過できないレベルまで来ている

こういったケースが『自分が本当にやりたいゲームを遊び続ける』という気持ちを阻害するかもしれません。実際に僕も前者は昔やってたソシャゲで、後者ならROその他のMMOで経験しています。マンクルポ!

本当に自分の趣味だけを追求するオタクゲーマーでさえ、「どうしてお前ほどのオタクがこの作品をチェックしていないんだ」というよその物差しで物言いを付けられすらするやもしれません。


自分だけのアソビをワガママに追求する事も、難しい時があるはず。そんな時には「お前それでいいのか?」という『自分の内側から出る声』には耳を傾けてもいいんじゃないかなと思います。何いきなり話しかけてきてるわけ?
という事で今日はこのへんで。