へたれゲーム貴族の躁鬱

ゲーマーの雑文記。テキストサイト時代の生き残り。

剥き出しの文章。2

以前書いたこの記事の

sizaemon.hateblo.jp

続き。

要約すると『インターネット上に存在している文章は素人が書いてるから無価値』と前書きされた本を図書館で読んで「それは違わね?」って思ったという話。

結論から言うと『目当てのものを探す力』が深く関わってるんじゃねえかなっていう。

ネット上にだってプロが書いたコラムなんか幾らでもあれば、精緻に感情を綴り人の心を動かせる素人だっている。
ただこの本の筆者さんが『ネットにある自分の目当ての文章を探す力』を持っていなかった、または養う機会に恵まれなかっただけの話だと思う(実は執筆にあたって相当ディープにネットの海を泳いだ末に出した結論だとしたら個人の考え方だし仕方ないが)

以前、近い内容を書いたんだけど例えば「最近は映像ばかり綺麗になって本当に面白いゲームが出ない!昔のゲームの方が良かった!」ってテンプレみたいな事を大真面目に言う人って『目当てのゲームを探す力』が弱いだけな気がするんだよな。

文壇に生きる人間だからネット上でも良い文章を見つける力を身に着けている、とはならないし、ゲーム好きでゲームが上手い人は自分に合ったゲームを探すのが得意、ということに必ずしもなるワケではないってところ。

後者に関しては近縁の能力だから自ずとある程度は鍛えられると思うけれど、前者なんか毛色が全く違うものなあ。紙の本の文章と出版までの道程と、ネットというメディアに流れる文章、存在からして違いすぎる。


と、そんな事を考えてみた一日でした。
読む、書く、探す、メディアを使う、対空落とす、差し返す、人に教える、灰皿投げる。うむ。全て違うものだ。