へたれゲーム貴族

未知の世界への鍵(ゲーム)を手に。

『ボーはおそれている』を観ました。ネタバレ・感想あり。

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『ボーはおそれている』を観ました。
ここからの内容はネタバレと感想を含みます。

『ヘレディタリー/継承』『ミッドサマー』と今をときめくホラー洋画界のアリ・アスター監督の最新作という事で期待に胸を膨らませて見に行きました。





かなり俗っぽい言葉で簡潔に感想を述べると「毒親に飼い殺された人間の狂気の世界」
その狂い具合は全裸中年男性に通じるところがあると勝手ながら思いました。

※全裸中年男性:X(旧Twitter)の一部界隈で流行している狂気の構文


どこからが現実でどこからが妄想なのか分からないので、描写されたそのままをその通りに受け取れません。ただボーが住む恐らく母親から与えられたであろうアパートの外すべてがボーにとっては狂気と冒険に満ちた世界である事から、母親によるボーの人生の支配、コントロールは描写通りのはずです。

グレースから仕向けられた追跡者(ジーヴス)は、母親に全てを与えられ支配されてきた、ボーの抑圧からの解放を望む「前へと進む意思」つまり自立心の暗示だったりはしないでしょうか?

途中で出会った劇団・森の孤児たちのショー=ボーが手に入れていない「子供たちに恵まれた人生」、を破壊したことからも、ボーが心のどこかで考えている直視したかった現実そのものかもしれません。

ショーはボーの妄想=手に入れる事の出来たかも知れない将来を示しているように見えます。ショーの中で描かれるボーの妻=女性は女優が演じておらず油絵のように二次元的に描かれている事から、ボーが思い描く現実の女性との乖離が見受けられます。

そしてジーヴス(自立心/現実)はラストシーンで屋根裏に潜む父性=巨大な睾丸の怪物にたやすく殺害されました。ボー自身が睾丸に(恐らく)遺伝で患ったであろう疾患がある事から、心雑音で亡くなった父親が何かしらの形で自身に対する自信の喪失として影を落としているようにも思えます。

全てを与えられ、支配されてきたボーですが、最後は自らの言葉で「助けてくれ」と発します。周囲に助けを求める事というのは結構難しいものです。結局、舟は転覆し、残酷にも幕は閉じますが、狂気と抑圧からの解放を望む彼の希望の第一歩のようにも見えて、描かれた絵面通りの哀しい終わりでも無いのかもしれないな、とも感じました。

しかしここで冒頭に立ち返って見ると、母親が怪死する以前の、ボーから見た普通の世界も非常に恐ろしく描かれているのです(飛び降りをショー化する住民/全裸の通り魔/喧騒に満ちた猥雑な都市)。これはボーのように『臆病』な人間から見た現実の世界そのままの姿といえそうです。この世界は、きっとおそろしいのです。臆病な"我々"が、おそれるほどに。

精神的狂気の世界をペンキでモニターにぶっかけ続けたかのような3時間。この映画を僕は安易には人には勧められないのですが、見てみる価値はあると思います。物凄く濃い映画体験でした。