へたれゲーム貴族

未知の世界への鍵(ゲーム)を手に。

雑文乱舞2 「リメイク作品」他ゲームに対して思う事など

3年ぶりの雑文乱舞のコーナー
つまりは適当に思った脳内デフラグメモリーの姥捨て山



Q.この絵なに?
A.Image Creatorが描いた「へたれゲーム貴族」らしい。


【リメイク作品】
リメイク商法と揶揄される事もあるリメイク作品。
僕は大歓迎である。
かつて存在していた名作を、現代を生きるプレイヤーへと。
その情熱を次世代へと。
リメイクは文化の継承だ。

ただ僕個人は好きだったゲームのリメイクを全部買い占めるほどではないというか、リメイクをプレイする事についてはそれほど積極的ではなかったりする。
「だって1回やったんだもん、昔」というのが理由の全てだ。
逆に言えば、程よく内容を忘れてるからまた楽しみたいなーと思って買う事もある。
オウガリボーンなんかはそういう動機で買ったはずだ。
そう、昔、というか子供の頃は時間を持て余しており、やった(クリア)回数は大抵のゲームで1回2回に収まらない。
もう、めっちゃやったのだ、めっちゃ。
なので「まぁ、これはもういいか……」となる事が、多かったりする。

よほど良い追加要素が無い限り、なかなか手が伸びない。
もしくは掛け値なしに好きなタイトルだとか。

リメイク作品がたくさんある事自体は、重ねて言うが歓迎だ。
様々なゲームが発売されている中には、昔のものをまた遊べるという選択もある。
そんな選択肢がある事自体は大変魅力的だ。



【プレイ人口】
どんなゲームをやる事にも貴賤なんか無いけれど、誰も遊んでないゲームに夢中になり続ける事への寂しさというのもこのSNS時代に、僕の心の中に確かに存在している。だからこそ人気作を熱いうちに遊びたい、人口の多いゲームを遊んで感想を多くと共有したい。という気持ちが自分の中に確実にある。



【ゲームへの風当たり】
平成初期のゲーム特集番組を見る機会があったのだけれど、番組内でゲーム評論家が「コンビニでゲームが買える、ゲーム専門の雑誌がある、ゲームを特集する番組がある。やっとゲームが普通のものになった」と言っていた。
その通り、このあたりの年代(1999~)がゲームの一種の転換点になったのかなと感じる。
ただ、その特集番組内でもコメンテーターがゲームに対して風当たり強いコメント出していたりで、諸手を挙げてゲーム最高の時代!というにはちょっと早いよな、とも思った。

2023年の今くらいがちょうど、ゲームへの風当たりが強い時代からゲームを愛していた世代が子供を作ってその子供にゲームを遊ばせる。という時代なので、ゲームへの偏見が一定以上氷解した時期というのはまさに今なのだろうなと思う。

今、というかもうちょい前で、ちょうどSwitchが出たくらいの時期がそうなんだろうな。



【飽きた。】
飽きたという言葉は、自分が今まで体験したものに対してというより、自分が耳にするもの、に対して使われるんじゃないだろうかと思っている。
「こんなものばかりで飽きた」
という人はその「こんなもの」のジャンルを自分で深掘りしすぎたから飽きたのではなく、そのジャンルに対して右の耳にも左の耳にも似たようなものの話しか流れてこないからこそ、そのジャンルへ新しい風が吹き込まれる事を希望して「飽きた」という言葉を呟くのではないだろうか。

ふと流れてきた「異世界転生には飽きた!なんていうが、お前たちは飽きるほど異世界転生を読み込んでいるのか?」というポストを見てなんとなく思った事だ。



【スマホが落下する】
一つ自慢をする。
僕は今までスマホを手から落とした事がない。

そんな僕が今年になって。
都合4回地面にスマホを落とし、僕のiPhone13の四隅はデスマッチ後の大仁田厚になりました。
皆はiPhone15を買いましたか?
僕はどうせ、これからスマホを計算上、来年には16回ほど手から落とす予定なので、様子見です。


本日はこのあたりで。
バイバイ。