へたれゲーム貴族

未知の世界への鍵(ゲーム)を手に。

ゲー録581 METAL MAX Xenoを今まで語らなかった。

このブログで度々紹介している僕の好きなゲームシリーズの中でもとりわけ特別な思い入れがあるのが「女神転生」と「メタルマックス」です。

僕が最後にメタルマックスシリーズについて言及したのはだいぶ昔で、最新作のメタルマックスゼノについてはブログでは記事を書いていませんでした。


あまりにも様変わりして、僕には向いていないと思ったからです。そしてそれを文章化するのがしんどかったのです。


本作メタルマックスゼノについてはかなり衝撃的なリファインがされており、その洗練さに僕はついていけなかったのです。
シリーズファンの斜め上を行くのがメタルマックスシリーズであるという言説を以ても、僕は手放しでその言葉を呑み込む事は出来ませんでした。

2020年9月10日に本作のリメイク版である「メタルマックスゼノリボーン」が発売するという事もあり、ここでメタルマックスゼノが僕向きでは無かった理由をしたためておこうと思います。

これはあくまで「僕に向いていなかった理由」であり、メタルマックスゼノがダメな作品だった理由などではありません。




僕がこのゲームに向いていなかった理由。
それはNPCの不在と、余計なものと扱われオミットされた数々の要素です。


大破壊が行われモンスターが徘徊する世紀末の世界に根を張って逞しく生きる人々。それがメタルマックスの大きな魅力だと僕は思っています。
かろうじて平和が保たれる小さな集落に身を寄せ合い、明日も知れぬ中で生き抜くNPC達は生きる事への確かなメッセージ性を持っていたはずです。

NPCの家に入れば、汚れたドラム缶のテーブルに、粗末なベッドやタンスがお出迎え。生活感溢れるNPCの住居を見て暮らしぶりに思いを馳せたり、彼らのセリフを聞いて回るのが大好きでした。

本シリーズは反ドラクエを掲げつつも、町があって話を聞きながらゲームを進めるというRPGのクラシックの文脈は抑えていたんですね(厳密に言えば自由度が非常に高く町の人とあまり話さなくてもクリア出来る作りになっています)。

ところがゼノでは町も、NPCも存在しません。
メタルマックス25周年のファンイベントではゼノのコンセプトとして「不要な部分を削ぎ落としていった後には何が残るのか」という趣旨の発言がありました。

僕が大好きだった荒れた世界を逞しく生き延びる人々は"不要なもの"だったのです。

それでもメタルマックスらしい手応えは確実にあるだろうと僕は発売日にメタルマックスゼノを手に取りました。

従来のシリーズと変わって強くなったシナリオ性(人類という種の保存と青春物語がテーマとなっており、下世話で直球な"単語"なども飛び出すため賛否両論はあると思いますが…)や、ハクスラ面に大きく進化したゲーム性、シンボルエンカウントへ先制攻撃を加えられる爽快なシステムなど、従来作には無い新鮮さは確かにたくさんありました。

ですがやはり、やはり物足りなさは否めません。

シリーズの敵である「人工AIノア」は人類文明の破壊を主目的として活動していましたが、そのノアの手勢がここまで徹底した破壊を完遂した世界に、僕は打ちのめされてしまいました。心の中で無駄だと思いつつも、何かに縋るように「誰か、誰か生きてはいないのか」と荒野を走り続けました。

「余計なものを削ぎ落とした」との事ですが、このシリーズは余計なものこそが魅力的だったのではないでしょうか?

NPC達…酒場の注文…あまり意味のないアイテム…バイブルを開いた時のメッセージ…やたら細かい武器改造…

僕が好きだったメタルマックスを構成する要素が、これでもかというくらい、ない。


それを文章にするのがどこか躊躇われ、またはっきり言葉にするのが怖かった。
しかしながらずっとモヤモヤしたまま過ごすのも精神衛生上悪いと思い、新作発売に向けて様々な情報が出ている今、一気にしたためてしまおうと思い文字を起こしました。


『メタルマックスゼノ リボーン』『メタルマックスゼノ リボーン2』『コードゼロ』の3プロジェクトが発表されたメタルマックスシリーズ。その中にまたかつてのメタルマックスを感じさせてくれるタイトルがあれば大歓迎ですが、僕に合わなかったとしても多くのファンの感性にマッチする作品が出てくれればそれでいいと思っています。
何にせよ、シリーズが続く事自体が何より嬉しいですから。