へたれゲーム貴族

未知の世界への鍵(ゲーム)を手に。

理解の話。

ゲーム"への"討論番組で未だにやたら覚えているものがある。

当時中学生だか高校生だか、番組の名前も忘れたが、「ゴア表現のあるゲームが青少年に及ぼす影響」といったテーマが夕方過ぎのワイドショーで論じられていた。
筆頭のタイトルとして「DOOM」のプレイ画面が映っていたのを覚えている。

この時壇上のデヴィ夫人が「どうして残酷なゲームがあるのかしら。画面を撃ったらお花が咲けばいいのに」と発言していて、それをしばしば強く思い出すのだ。

この言葉に対しては当時ガキなりに思うところがあり、「画面を撃ったら花が咲くというゲームには、自分の選択や創意工夫がゲームに反映されないだろう。そこにはゲームという遊びの根幹を支えるゲーム体験というものが存在せず、モチベーションとなるリプレイ性もないので……まあ小さな子供が数分の暇つぶしをする分には良いかもしれないが、現在市場に存在していて大多数のプレイヤーが対価を支払って体験したいと思う"ゲーム"というものの標準的な定義とは貴女のおっしゃるゲームというものは全くかけ離れていて……」と脳内デヴィ夫人を反芻する度にエアプロレスを開始していた。というか二十歳くらいまで思い出す度にしょっちゅうしていた。

きっつ。

まあなんかそのうちデヴィ夫人ってフィンガーフレアボムズくらいは撃てそうだし勝てなさそうだなとか思い始めてからこの脳内プロレスをやめたのだけれど。

急にこれを思い出して、ちょっと思った事がある。

デヴィ夫人、TV向けの台本で心にもないことを言っていた可能性はあるけれど、まあ多分この「(ゲームは)画面を撃ったらお花が咲けばいい」というのは心からマジメに言っているんだろうな、と。

そしてそれは単純にゲーム(これまでの文脈通りビデオゲームを指す)というものへの"理解"が足りていないだけであり、彼女は決して何か意地悪だったり皮肉だったりでそう言ったわけではないと思うのだ。

ここで言う"理解"というのは、友達と「マリオカートで1回遊ぶ」くらいで得られるものだと思う。
それでおそらく「あっ。なるほど。画面を撃ってお花が咲くだけのゲームがあったとして、それは皆がやってるゲームとは違うな」と"理解"できるんじゃないか。
ここまで理解が進んだ前提で「でもゲームなんて残酷なものが子供に悪影響与えてるんだろーし、これからは今までのゲーム全部禁止にして画面撃ったらお花が咲くやつだけ売ればいいんじゃねーの」という結論に至ったら、それはその人なりの回答でありそれをとやかく言うつもりはない。
自分が思うのは、ゲームに対して全く知識がなく「そうだそうだ!デヴィ夫人の言う通りだ!」という100人全員がそれぞれ、マリカー1回やってゲラゲラ騒いで遊ぶという体験をした時に、何人かはデヴィ夫人と違う答えを出すと思っていて、それが"理解"なんじゃないかということ。

結局デヴィ夫人と同じ結論に至った人がいたとしても、それを含めて理解と呼んでいいと思う。何を言っているか分からないかもしれないが、要するに結論そのものが大事なのではないと思う。

体験した上で出した答えなのか、そうでないか。この記事内に限定してだが僕は前者を理解だと定義する。そして僕は出来るだけ理解がしたい。

僕は全く門外のものを、へたすれば良くない偏見すらあるものを、これからは少しでも理解をしてみようと思う。してみたいと思う。
そんなことをたまに思い出すあの番組から考えたのだ。