スーパーで買ったお茶のペットボトル川柳に
「リセットの ボタンがなくて 夏の果て」
という一句を見つけました。
光陰矢の如しをゲーマー視点から見た句でしょうか、その風情に感じ入ってしまいました。
リセットボタン。
昨今のスマホRPGを筆頭に、この頃は馴染みの無いボタンです。
私が子供の頃、大人達からは「都合良くなんでもやり直せるボタン」として
テレビゲームが子供の性格に与える悪影響の象徴とされていたと感じます。
果たしてリセットボタンに手を伸ばしていた私達は
「やられちゃった(笑)まあいいか何度でもやり直せるし!」
という浮ついた気持ちだったでしょうか?
少しでも真剣にゲームに向き合った事がある人ならばきっと違うと答えると私は思います。
リセットボタンを押していた時の私達は 「クソッ!」 そんな気持ちだったのではないでしょうか。
そのリセットボタンに何度手を伸ばしたことだろう。
ワグナスが初ターンにファイアストームを撃ってきた時。
高レベルの鬼神を作るつもりが事故で外道バックベアードになってしまった時。
さくま名人としのぎを削っていたら銀次に4兆5569億2168万円スられた時。
遠投の腕輪を装備したまま合成の壷を投げてしまった時…にはこのボタンは意味がありませんでしたね。
なるほど確かに都合の良い結果が出るまでやり直せる魔法のボタンです。
ですが私達は、いや、少なくとも私は、おちゃらけた気持ちでこのボタンを押した事はありません。
こんなボタンは二度と押したくは無かった。
理由は簡単で、何度もやり直したくないからです。
リセットボタンが無いゲームを遊ぶ機会が格段に増えました。
不都合に見舞われ咄嗟に端末の電源を落としても、データはリアルタイムで向こうのサーバーに記録されている。
それでも何故か、それを理不尽だと感じる事はあまりありません。
生まれた時から今にいたるまでリセットボタンの無いクソゲーをプレイし続けているから、というのは考えすぎでしょうか。
ゲームの在り方が変わり続けているこの時代です
そう遠くない将来、リセットボタンが無くなる日が来るかもしれません。
人生にコイツがあったらな、と思った事もありました。
もし無ければ、幾つもの冒険で数々の強敵を越え、エンドロールを拝む事は出来なかったでしょう。レベル20目前、闘技場で敵が繰り出した"ひっさつ"の凶刃が届く前に咄嗟に押し込んだものの結果は変わらず、いざという時の役に立たなさに複雑な気持ちを抱いた事も一度や二度ではありません。
かつてのゲームっ子を冷ややかな目で見ていた大人達からは子供達から慎重さや忍耐力が失われているとゲーム脳問題を提起する方便として使われ、その子供達からは乱暴に扱うとデータが消えそうな恐怖があり、そもそもテレビの前まで這って何度も押したくは無いと若干アンタッチャブルな扱いを受けていたリセットボタン。
そんな微妙な距離感の彼との、どこか奇妙な関係性。
ゲーマー一人一人にリセットボタンにまつわる異なるドラマがあると思います。
ただ一つだけ確実なのは、テレビゲームを語る上で無くてはならないものだった。と思う事です。