へたれゲーム貴族

未知の世界への鍵(ゲーム)を手に。

雑文549 時代移ろい世間とゲーム

楽しいゲームを紹介したい、面白かったゲームの体験を共有したい。
基本的にはそんな観点でブログ運営を続けている僕であるが、同時にこれは忘れずに定期的に語っていきたいというゲームの話がある。

かつて強く存在した、ゲーム白眼視の風潮についてだ。

僕はスーファミ~プレステ初期世代の人間であり、ファミコンが出て暫くしてから生まれ、少年時代はスーファミとプレイステーションに熱中した。

率直にいえば、その頃ゲームに対する世間の評判は良いものではなかった。

ゲームに影響されて暴力的な人間(子供)になる、成績低下の原因、ファミコン好きは根暗気質。ゲームセンターは非行の温床であり、ゲーセン通いなんてもってのほか。ゲーマーという人種は暗い部屋に閉じこもって画面に向かう姿がステロタイプとして描かれる。

それはもうさんざんだった。

Switch世代、スマホネイティブの良い子の青少年にはピンと来ないかもしれない。
今の人達は言われても精々「ゲームばっかやってんじゃないよ~」くらいだと思う。
けれども僕が子供の頃、居間で夕焼けを背にスーファミに向かってピコピコ少年だった頃はかなり色々と、それはもう社会から「ゲームはロクデナシの趣味」というような事を言われたものだ。
事実、小学生の頃の僕は、ゲームセンターに行ったというだけで職員室まで呼び出しを受けて説教を食らった事があるし、高学年になって変わった別の担任は「なるべくゲームなんかやらないように」とホームルームの時間に言い放った事があった。

どうやら大人達、世間にとって、ゲームというものはそこまでの悩みのタネになるようなシロモノだったらしい。

それが現代、東京五輪の開会式にゲームミュージックが使われるだなんて僕らの世代の誰がそんな未来を想像出来たんだろうか。


本当に誰しもがゲームに親しんでいる、ゲームが娯楽として身近にある、凄い時代になったと思う。


だいぶ前にはなるが、僕は数年ほど大学の職員として働いていたことがある。
ここの総務部の係長が本当に昭和世代のカチンコチンの悪い価値観を持っていた人で、学内でもめちゃくちゃに嫌われていたし、彼の悪い価値観とは本当に令和では信じられない、ここでは書けないような事を平然と言ったりやったりするといったレベルだった。
そんな係長がある日笑顔で「最近これハマってんだ。面白いんだ」とスマホのパズルゲームアプリを見せてくれた事があった。
そう、現代を生きる人は遊ぶのだ、ゲームを、この係長ですら。
そこまで身近になったのだゲームという娯楽は。

少し前、吉祥寺は井の頭公園を散歩していた時に、70代ほどの老夫婦が和やかな雰囲気でスマホを眺めながら歩いたり立ち止まったりしていたのを見かけた。
ちらっと見えたスマホの画面には、ドラゴンクエストウォーク。
そうか、30歳の頃にファミコンを遊んだ人は、今はもう70歳なのだ。
そんな先輩プレイヤーを見てしまっては、「良い歳してゲームなんかやっているんじゃない」なんて言葉は、遥か昔の今は通用しない価値観の言葉だろう。

時代は変わっていった。
ゲームを取り巻く環境さえも大きく。
世間から向けられる目もまた、少しずつ違うものになってきている。

それでもかつてゲームを愛する者達には厳しい目が注がれていた。
その事実は決して無い事にしていいと思わない、だから僕は語る。

僕は語るが、哀しみを次の世代に押し付けるつもりもない。
生まれた時からゲームに囲まれていた世代、人と共有出来る趣味としてなんら躊躇無くゲームを選択できる世代。キミらは新時代の者達だ。何も心配せずに大いに遊び、楽しんでほしい。