へたれゲーム貴族の躁鬱

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ゲームハードの進化とゲームらしさ



大仰なタイトルだがそんなにかしこまった話でもない、たぶん。


最先端のゲームハードではもはや現実さながらを描写することが可能になった。
つい30年ほど前は『文字を削って』メモリを確保していたビデオゲーム。
もはや容量に悩まされることなどないのではないかと思われるほどハード面が進歩している。

お陰で、そのハードのパワーを最大限に駆使しようとするならば、少なくとも映像表現上は『ウソ』が許されなくなった。
キャラクター同士が同じマスに動き、派手な効果音と共に「いてっ!」とメッセージが表示されるような流れでは『キャラクターの衝突』を描いたものとは認められないだろう。

現実と遜色ない光景を描写できるようになった現行ハードでの『ゲームらしさ』とは何だろう?

もしかすると、物心がついた時から現行ハードに囲まれて育った若年のゲーマーにとって、ゲームらしさとは『リアルであること』かもしれない。

人によってゲームらしさの回答は違うだろう、僕にとっては『ゲームだから』で済む多少強引な展開だったり、開発メーカーが工夫を凝らして『表現』しようとしている映像上のキャラの動きだったりが、『ゲームらしさ』の一つだと考えている。
言うなればそれは『ゲームだからリアルじゃないこと』と同義だ。

ではそういった、『ゲームだからリアルじゃない』というものが今無くなってしまっているかといえば、そんなことは全くない。

映像のリアルさで勝負することは難しいけれど、映像の表現方法だったり、ゲームシステムのアイデアで勝負をかける中小企業や個人が開発するインディーゲームの世界に、それらは無数に芽吹いている。

僕の考えるゲームらしさも、ゲームハードの進化と共に移ろいゆくどこかの誰かが思うゲームらしさも、同じ時代に同時に存在出来ていると僕は考える。

ゲームメーカーがハードのパワーを最大限に引き出そうとする時、その開発費は膨大なものになるだろう。
少なくともファミコンやスーファミ、プレイステーション初期の時代とは比べ物にならないはずだ。
ビデオゲームのCMが茶の間にいくつも流れ、ゲーム雑誌には200ページほどの誌面にわたり数十本のゲームソフトが紹介されていた時代から考えれば、今世に出るフルプライスのゲームの少なさたるや一目瞭然だ。
ハードパワーの進化は、そういった面ではゲーム市場を少し窮屈にしたのではないかと僕は考える。
様々なメーカーが業界に参入し、アイデアのままに珍奇な作品が毎月のように発表されていた頃からは、僕のような一般ユーザーの視点から見るとゲーム開発があまり自由ではなくなってしまったのかな、と思ったりする。

本来であればハードの容量が格段に上がり、どのようなグラフィックでも映し出せるようになり、ゲーム開発は物凄く自由になっているはずなのだが、あの頃ほど自由な市場ではなくなってしまったような気もするのだ。

さて最後まで真面目に文章を書けない僕であるから適当になる。

ぶっちゃけ大手メーカーも開発費がすっげーかかるとか、そもそもマーケティングが先鋭化されてきて『せがれいじり』みたいなゲームを何本も出してる場合じゃあねーんだよ!という事なのかもしれない。
多分そんな気がするし、同時にワンタップで約3060円くらい持っていける市場が拡大化したのも背景にあると思う。
初課金はチェインクロニクルだったが、あれは甘い猛毒だったと感じるし、今でもウマに課金している僕だからなんとも言えないが。

そんな時代だけれど、同時に『ハードの性能を最大限に生かしてゴリゴリのものを作る』大企業もあれば、『映像はスーファミレベルだがとにかくアイデア勝負だ』という個人開発者もあって、それらが同時に存在出来てはいるのが現在のゲーム市場だ。

現在の市場を見て『ゲームらしさ』について回答を出すのは大変難しいように思うが、もしかするとゲームらしさはハードにもよるし大手メーカータイトルかインディーゲームかにもよるとか、とにかくポンと出せるような概念ではないのかなと思ったりして今日のところは明日のRTA in JAPAN視聴に備えてゆっくり休もうと思う。

僕は今、ポケモンのダイパリメイクを遊んでいるけど、『ゲームらしく』て好みだ。
目があったらポケモンバトル!それはあまりリアルじゃないように思えるけれど、このゲーム世界が構築している世界観の中ではそういうものであって、そこがなんともゲームらしい、そう思うのだ。

楽しい。
あと今ポケモンだとコイルが一番好きです。

今日はこのあたりで。