内容的にちょっぴりシュールで、小ネタ満載のこちらのVtuber漫画
最後のコマの「ゆったりした気持ち」という何気ない言葉で色々思うコトがありました。
— カイヅカ (@gya_77) 2020年6月14日
そういえばゆったりした気持ちって中々思い出せないなあと。
現代社会のあらゆるシーンにおいて最も普遍的に価値がある概念は「早さ」です。
「ゆったり」とは対極に位置するものといっていいでしょう。
宿題にしろ仕事にしろ趣味にしろ、成果が粗雑で無い限り、早いという事は究極的に正義です。
仕事において早いという事は生産性そのものであるし、それ以外の日常においても生活上必要なことを早く終えられれば、人生の中で他の物事にリソースを割く事が出来ます。
私的な感情を交えず客観的に現代社会を俯瞰すれば、「ゆったり」というのは悪い概念でしかないでしょう。
一年間のうち四ヶ月以上が繁忙期で終電で帰れない日が延々と続き祝日も出突っ張りだった事もありましたし、ある日突然平常業務を今までの3倍の量行うよう著しい作業量の増加を強制された事もありました。死ぬ気で効率化を図り3倍早く業務を片付け、時間を無理矢理に作っては会社の企画・施策の仕様書作りと向き合う日々。仕事の場で事にあたる場面では、いかに早さを出すかといった事に苦心を重ねた思い出ばかりが蘇ります。
実際この競争社会ではゆったりしている暇なんて一秒も無いハズなんですよね。仕事の場に限りません。自分を磨く…パートナーを探す…趣味に上達する…遍く全てにおいて、ゆったりしている場合ではありません。早さを求める意識が日常的に無い人は、周囲と比較してただひたすらに遅れていくだけだからです。
そんな事は百も承知の上。
だからこそ逆に「ゆったり」に価値を求めてもいいんじゃねえの?なんて私は思ったりもするんだよね。
早さに腐心して心身すり減らしながら何かをもぎとるのも人生なら、その正反対みたいな生き方をしてる人間がいたっていいんじゃねえの?とか思ったりもね。
ほんとにね、忙しいこのご時世にゆったりなんて出来る時間が物理的に隙間も存在してねえよって人も沢山いると思います。だから全員にゆったりする事に価値を求めろなんて言えないです。ただまあ、早さに擦り切れる人々が多い中、ゆったりにも意味があるのだと多くの人が少しでも思いを馳せてくれるくらいの世の中になったら、自分で命を断つような人がちょっとでも減ってくれるよな、とか考えたりね。
今日はこのへんで。