へたれゲーム貴族の躁鬱

ゲーマーの雑文記。テキストサイト時代の生き残り。

うつ社会

Twitterで話題になっていたうつの闘病漫画を読みました。

お行儀が良くないので「理解ある異性のパートナーがいる上に労働環境が良くないとはいえ自分の好きなことを仕事に出来ている時点で読むのやめてうんこして寝ました」みたいな酷く醜いことをTwitterに書いてしまったんですが実際はちゃんと読みました。


少し私感。
人間めちゃめちゃ色々な人がいるしそれぞれ配られた手札も何もかも違うので、うつだから彼氏彼女出来ちゃいけないとか、うつだから友達や家族と楽しく過ごしたりしてはいけないとか、それくらい恵まれてたらうつじゃない、とか言うつもりは全くないです。
生命機能の維持活動すら億劫で動けなくなるくらいやられていても、特定の分野ならクッソ頑張れるという人もいるでしょう。
あの漫画も上手くうつと付き合えた人の、生き方の一つのケースだと思います。


私が常々思うのは
立ち直れたケースには出てこないような、うつが起因で社会から断絶した人、もしくは社会から断絶してうつになった人。家族も友もなく、正常な人に擬態する術も磨けず、何もない人。
そういった人たちにスポットがあたることが無さ過ぎると思います。
うつの人もそうでない人も、彼らについてまず考える機会が無い。

「何やかんやあって、今も完全に立ち直れたとは言えないけれど、騙し騙しなんとか生活を維持していける。良かった」
そういう人々に対して一定の理解がある世の中になってきたと思っています。少なくとも15年くらい前に比べたら生きやすい。

だけど、うつで暮らしが立ち行かなくなった、社会から切り離された人たちが十分に可視化されているとは思わない。
そういった人たちに光があたる仕組みはないものか。
彼らが抱えるうつの原因は何なのか、それはどうすれば解決に向かうのか、ひとまず取れる現実的な手段はあるか。
それらのモデルケースが圧倒的に足りていない、目にも付かない。

彼らを今すぐに救えとか、社会に参加する機会を与えろとか、無償で何もかもやってやれという話では全くありません。
ただ話し合う機会も、話を聞く機会も、どのように生きているのか知ることも、あまりにも無さ過ぎるのではと思いませんか。

まずは十分な数のケースが可視化されること。
現実的な解決策を案じるのはそれからだと思います。

凄く難しいんですよね、だからこそ可視化されていない。
絵でも文章でも、何かで自分を伝える技術がまず必要です。
あったとしても、自分の窮状を臆せずに伝えることができる人間がどれだけいるのか。

だからそういう人たちが自分のことを発信するのはとても勇気があるし、それだけで価値のある事なんじゃないかと私は考えている。

自らのことを伝えるという最初の一歩を踏み出せる仕組みが増えること、そして彼らが見えるようになる仕組み。うつという病理に立ち向かう社会が次に一歩進み出すために、必要なものはそれらなのではないだろうか。