へたれゲーム貴族

未知の世界への鍵(ゲーム)を手に。

雑文535 訃報への解像度

たぶんそんなに暗い話ではないし長い話でもない。


昭和を、平成を代表する各分野のスターたちの訃報をこの頃あまりにも多く感じている。
昔はそんなことは無かったのかといえば、恐らく違って、死は偏在せず遍在するもののはずだ。
ではなぜ今そのように僕が感じているのかといえば、それは単純に歳をとったから、つまり生きてきて世の中を見てきたからなのだと思う。

きっと自分が幼い頃から、例えば小学生や中学生の頃から世の中には著名人の訃報は溢れていたけれど自分がそれに気が付かなかっただけだったのだろう。
この世には死という別れの形はこんなにも多いのだ。

だからこそというワケでも無いが、力尽きるまでは(どのような形で力尽きるかは分からないが)頑張って生きてみようなどと思う。
誰からも褒められないような生き方でも、後ろ指を指されるような生き方でも、なにくそという根性を発揮して、ときには時間の濁流に耐えながら、ときには流されるまま、心臓が停止する日まで自分なりに時計を刻んでいこうかなと、そんなことを思った。


今考えると恥ずかしくて死にたくなるようなエピソードをひとつ。
いやこんな話をしてすぐに死にたくなっちゃダメだけど。

小学生の頃の僕はザ・キング・オブ・ファイターズにあまりにも心酔していた。
僕がゲーセンに通うキッカケになったタイトルであり、学生時代にシリーズ通して熱中した作品だ。

中でも僕は怒チームの軍人キャラクター『ラルフ』がお気に入りでしょうがなかった。
そのラルフ、はては怒チームを象徴する『任務』という単語が好きでたまらなかった。

それらにインスピレーションを受けた僕が小学校の卒業文集に書いた一言。
『人に与えられた任務とは生き抜くことだ!』

今思うと恥ずかしくて死にそうになるものの、面映ゆさと同時に「当時の自分も、ゲームが大好きでゲームに生かされてたところあるんだなあ」なんて感じたりもするのだ。

というわけで本日は、あらためて生き抜いてみようなんて決意をしたのでありました。

別に私生活でなにかあったわけではないが、たまにはこんな雑文をね。