へたれゲーム貴族の躁鬱

ゲーマーの雑文記。テキストサイト時代の生き残り。

雑文529 カブトムシの秘密に考えるジョークの許容

子供の頃から悪い雑誌やコラム、ネットのネタで育ってきたので不謹慎ネタやブラックジョークがそれなりに好きだったりする。

深夜ラジオ「伊集院光深夜の馬鹿力」内における過去のコーナー"カブトムシの秘密"というのが大好きだった。
子供たちにカブトムシの秘密や飼い方を教える体で、家庭・離婚問題やクズ人間ネタ、社会問題ネタを取り扱うというパンチの効いた内容のコーナーだ。

(カブトムシにあげてはいけない餌は何かな?1.スイカ 2.蒟蒻ゼリー 3.いつものように父さんと母さんが罵り合う声が聞こえてきた…父は怒鳴り声と共に机の上の食器を地面に叩きつけた。割れる皿のように壊れた家族関係…この皿に乗った人間の食べ物。 という様にクイズを出し3番目の回答で重苦しいネタを使ってオトす内容が描かれる)

このコーナーが放送していた2007年当時は毎週クスリと笑わせて貰っていたもので、未だに大好きなコーナーの一つだ。

あれから13年経つ今、少し思う事がある。
自分がこれで疑問を持たずに笑えていたのは、このネタで取り扱う家庭問題、離婚問題、etc…に幸運にもかすりもしてなかったからなんじゃないかなと。

自分の家庭がこのコーナーで取り扱うネタのような問題を抱えていたら、同じ様に笑えたのだろうか。
そんな事を考えてしまう。

勿論このコーナーはどこまでいってもフィクションだ。
このコーナーで取り扱うネタがそういった問題に悩んでいる層を揶揄する意図は恐らく無いだろうし、まさにネタの渦中にあり不愉快な思いをするからコーナーを廃止しろと声を上げるのは表現の自由を狭めかねない。(言うまでもなく、そういった抗議をする事自体を批判はしない)

しかし、この僕が大好きな、笑いをたくさん貰ったコーナーで、心が傷ついた人がもしいたとしたら。

自分がもしそういった思いをした人間の一人だとしたら。
僕はこのラジオを批判しなかったのだろうか。



僕は創作物の表現の自由は守られて欲しいと願う一人である。
ファミコンの頃からゲームの歴史を見てきたけれど、ゲームの表現についても昔なんかより遥かに厳しくなった難しい時代だ。

「こんなのフィクションなんだからさ、作り物なんだからさ、真に受けて表現内容に文句なんか言うなよ」とカブトムシの秘密に屈託なく笑えていた頃の僕は言うだろう。

「ただのジョークなんだからお前も笑い飛ばせ」と、他者に許容を強要する事は正しいのだろうか。

社会に出てからは学生の頃とは比べ物にならないほど多くの人の意見に触れてきた。
そしてまた自分が経験した事柄の中でも「配慮が欲しい」と願うものも幾つかあった。
とすれば。
自分がただ笑いとして消費してきたこういったものにも「配慮が欲しい」と願う人々がいるのではないか。

どこまでなら許される、許されない、という答えは出ないだろう。
許容の境界など無く、濃淡、グラデーションの問題に過ぎない。
その基準は個々の感性に委ねられるのだから。

僕は今でも"カブトムシの秘密"が好きであるし、コーナーの表現方法について苦言を呈するつもりはない。
ただ、昔より歳を取った今少しだけ考えさせられる事があっただけだ。