へたれゲーム貴族の躁鬱

ゲーマーの雑文記。テキストサイト時代の生き残り。

フリースタイルダンジョンありがとう

ここんところゲーム以外の更新が続いているけどまぁそんなにゲームネタがないんだな。
最近はFF14に復帰して熱が戻ってきて夢中で遊んでいる。
あと面白いのはLibrary Of Ruinaかな、これはそのうち紹介したいな。



www.j-cast.com



長い間視聴し続けたラップバトル(MCバトル)番組がついに最終回を迎えてしまった。
終了理由は中々ブラックなものなんだけど、HIPHOPカルチャーとそういったものの結びつきは非常にデリケートな歴史があって、僕みたいな素人が仔細を語ったり指摘したりどうのってのは野暮な気もするから何も言わない。


僕が音楽のジャンルとしてラップの存在を初めて意識したのは16年前、アニメGANTZのOPである「Super Shooter / RIP SLYME」を聴いてから。その後SOUL'd OUTに熱中したりもしたので、ハマる下地は出来ていたのかもしれない。

番組のラスボスを務める「般若」が赤ちゃんに幼児退行しているという不思議なワンシーンのキャプチャーに興味を惹かれて、ふざけ半分で視聴を開始したフリースタイルダンジョン。なんだかんだ欠かさず毎週見るライフワークの一つになっていたし、同番組に興味を持ったかつてのゲーセン仲間が何人か一緒にハマり、彼らと一緒に定期的に仲間内のサイファーを開いて楽しんだりもした。

最初はMCバトルの持つ「知的さ」がクールに感じて視聴を続けようと思った。僕はTRPGをかなりの頻度で遊ぶのだけれど、MCバトルがTRPGの持つ「即興性」に通じたものを持っていて、そこが非常に興味深かったという理由もある。

そのうちバトルを見るだけではなく出演者や他のラッパーの音源を買う事にした。HIPHOPの奥深さに触れる事で新たな感受性を得る事が出来たと思う。苦しい時は「JOY&PAIN / 紅桜」をリピートして前向きな気持ちを呼び起こしてきた。


MCバトルはHIPHOPから発祥したあくまで一つの文化に過ぎないが、同番組が大衆に与えた影響は大きいと思う。本当に意義のある番組だったと確信している。

終わってしまう事が今はただ悲しい。三代目モンスターの持ち味が出てきて、これからもっとバチバチなバトルが見れるかなと思った矢先の番組終了だ。
この番組のお陰で色々な楽曲を知る事が出来たし、一緒にハマった友達と楽しい会話やサイファーが出来た事は人生の素敵な1ページになった。

フリースタイルダンジョン、今まで本当にありがとう。



余談だけど
この番組で僕が一番好きなバトルはseason4 Rec1-3の「ONE a.k.a ELIONE vs 崇勲」
両者ともキレキレで半端なくてマジでハイになれる。

雑文529 カブトムシの秘密に考えるジョークの許容

子供の頃から悪い雑誌やコラム、ネットのネタで育ってきたので不謹慎ネタやブラックジョークがそれなりに好きだったりする。

深夜ラジオ「伊集院光深夜の馬鹿力」内における過去のコーナー"カブトムシの秘密"というのが大好きだった。
子供たちにカブトムシの秘密や飼い方を教える体で、家庭・離婚問題やクズ人間ネタ、社会問題ネタを取り扱うというパンチの効いた内容のコーナーだ。

(カブトムシにあげてはいけない餌は何かな?1.スイカ 2.蒟蒻ゼリー 3.いつものように父さんと母さんが罵り合う声が聞こえてきた…父は怒鳴り声と共に机の上の食器を地面に叩きつけた。割れる皿のように壊れた家族関係…この皿に乗った人間の食べ物。 という様にクイズを出し3番目の回答で重苦しいネタを使ってオトす内容が描かれる)

このコーナーが放送していた2007年当時は毎週クスリと笑わせて貰っていたもので、未だに大好きなコーナーの一つだ。

あれから13年経つ今、少し思う事がある。
自分がこれで疑問を持たずに笑えていたのは、このネタで取り扱う家庭問題、離婚問題、etc…に幸運にもかすりもしてなかったからなんじゃないかなと。

自分の家庭がこのコーナーで取り扱うネタのような問題を抱えていたら、同じ様に笑えたのだろうか。
そんな事を考えてしまう。

勿論このコーナーはどこまでいってもフィクションだ。
このコーナーで取り扱うネタがそういった問題に悩んでいる層を揶揄する意図は恐らく無いだろうし、まさにネタの渦中にあり不愉快な思いをするからコーナーを廃止しろと声を上げるのは表現の自由を狭めかねない。(言うまでもなく、そういった抗議をする事自体を批判はしない)

しかし、この僕が大好きな、笑いをたくさん貰ったコーナーで、心が傷ついた人がもしいたとしたら。

自分がもしそういった思いをした人間の一人だとしたら。
僕はこのラジオを批判しなかったのだろうか。



僕は創作物の表現の自由は守られて欲しいと願う一人である。
ファミコンの頃からゲームの歴史を見てきたけれど、ゲームの表現についても昔なんかより遥かに厳しくなった難しい時代だ。

「こんなのフィクションなんだからさ、作り物なんだからさ、真に受けて表現内容に文句なんか言うなよ」とカブトムシの秘密に屈託なく笑えていた頃の僕は言うだろう。

「ただのジョークなんだからお前も笑い飛ばせ」と、他者に許容を強要する事は正しいのだろうか。

社会に出てからは学生の頃とは比べ物にならないほど多くの人の意見に触れてきた。
そしてまた自分が経験した事柄の中でも「配慮が欲しい」と願うものも幾つかあった。
とすれば。
自分がただ笑いとして消費してきたこういったものにも「配慮が欲しい」と願う人々がいるのではないか。

どこまでなら許される、許されない、という答えは出ないだろう。
許容の境界など無く、濃淡、グラデーションの問題に過ぎない。
その基準は個々の感性に委ねられるのだから。

僕は今でも"カブトムシの秘密"が好きであるし、コーナーの表現方法について苦言を呈するつもりはない。
ただ、昔より歳を取った今少しだけ考えさせられる事があっただけだ。

雑文528 探せない・選べない人

うーんなるほど


・若年層にとっては読む漫画を選択する事がストレス
・自分で選ぶ事なく自動的に次の動画を再生するTiktokは若年に大流行している

という事。

若年層と括られているけど、「その分野に興味はあるが知見が浅く、自分のニーズの満たし方が分からない」という人は全てこういう状態なんじゃないかな、って思ったり。

そのような状態にある人の内、若い人とはまた違った理由で社会人層も似たようなレコメンドサービスの需要があるんじゃないかと思う。取捨選択を失敗したくない理由が、若い人は「お金」=自分で選んで買った漫画がつまらなかったらお金の無駄だ。というものが多いはずで、社会人層はお金の部分が「時間」になる。探すのに時間をかけ、つまらない作品だったら時間の無駄であるから、自分のニーズに合ったものや人気のものを見繕って貰うサービスは一定の需要があると考えている。


ここまでは自分のニーズの満たし方が分からない人の話。

多少なりともその分野に首を突っ込んで、自分のニーズの満たし方がある程度分かっている人は、今度は失敗しないために吟味するようになる。
要するに取捨選択という行為のため、作品の情報を集めたりする。


ここからは僕の好きな分野、ゲームについて話したい。

僕は取捨選択というものには娯楽性があると思っていて、ランスXというゲームが何故面白いのかというのを書いた記事にて、そこに取捨選択をする楽しさがあるという事を書いた。国民的な娯楽でいうと麻雀にも同じ事が言えると思う。麻雀には手牌と毎回のツモ牌を比べて最適な一打を取捨選択し続けるという部分に娯楽性が存在している。

昔ながらのゲーム少年・ゲーム少女だった人達には分かって貰えると思うんですけど、選ぶ事ってワクワクして楽しい概念のハズなんですよ。少ない小遣いやらお年玉を握りしめて、ゲーム屋の店頭に並んだソフトのパッケージを見て、買う一本を決める。楽しかったじゃないですか。今で言うクソゲーも結構溢れてましたけど、そういうのを掴んでもゲームなんて頻繁に買えるようなもんじゃないから仕方なく遊び尽くしたりね。


今では、大人になってお金や時間の価値観が昔と変わったからというのもあるけど、なんか昔よりは自分で選ぶ事のワクワク感が少し変質してきたな、と思ったりもする。

次にどんなゲームを買おうか選ぶ時にワクワクしないわけじゃないんだけど、これだけ世の中に情報が溢れてる時代だと、「どのゲームメディアも絶賛してるゲーム!」とかそういう世論に、気付かない内に取捨選択の背中を押されているような、そんなちょっとした不気味さを感じたりもするんだよね。


ただ、かつてのゲーマー少年が大人になって、例え同じだけゲームへの情熱を持っていたとしても、当時と同じゲームへの可処分時間を持っている人は殆どいないと思う。そういった意味でこの情報が溢れた世界というのは、有り難くもある。買うゲームを選ぶ時間を削減出来るし、事前レビューを見れば失敗も減らせる。(レビューの有効性はまた別の話で)


まぁこの記事にほんとオチもヤマも無くて申し訳ないんですけど、僕はいつになっても「探せる」「選べる」人間であり続けたいな、と思う。特にゲームに関してはね。
それは「探せる」「選べる」事が偉いから、リテラシーがあるから、というわけではなく、純粋に探す・選ぶ事が楽しいと自分で感じているからです。
だから選べない人を悪く言うつもりは全くないです、娯楽への関わり方に優劣なんか無いと思いますしね。

娯楽への関わり方に上も下も無いとか書いた側からこんな事言ってあれですけど、最近のゲームは映像だけでつまらない!みたいな事言ってる、恐らくかつてゲーム少年だったであろう人っているじゃないですか。彼らって昔は探せた、選べた人だと思うんですよ。ただ何かの理由があって今ではゲームへの関わり方が"昔を語るだけ"になってしまってるんですよね。そういう意見を見る度にマジで勿体ないと思ってます。

正直映像だけで売れる時代なわけね~と思ってます。ベストセラータイトルってそれなりの理由があるからベストセラーなんですよね。食わず嫌いせずに今のゲームを「探して」「選んで」遊んで欲しい。映像じゃなくてアイデア勝負!という昔っぽい作品だって、インディーズにゴロゴロ転がってますからね。


相変わらずまとまりがない。
今日はこの辺で。


雑文527 忘れていた気持ち

内容的にちょっぴりシュールで、小ネタ満載のこちらのVtuber漫画
最後のコマの「ゆったりした気持ち」という何気ない言葉で色々思うコトがありました。

 

そういえばゆったりした気持ちって中々思い出せないなあと。


現代社会のあらゆるシーンにおいて最も普遍的に価値がある概念は「早さ」です。
「ゆったり」とは対極に位置するものといっていいでしょう。
宿題にしろ仕事にしろ趣味にしろ、成果が粗雑で無い限り、早いという事は究極的に正義です。
仕事において早いという事は生産性そのものであるし、それ以外の日常においても生活上必要なことを早く終えられれば、人生の中で他の物事にリソースを割く事が出来ます。

私的な感情を交えず客観的に現代社会を俯瞰すれば、「ゆったり」というのは悪い概念でしかないでしょう。


一年間のうち四ヶ月以上が繁忙期で終電で帰れない日が延々と続き祝日も出突っ張りだった事もありましたし、ある日突然平常業務を今までの3倍の量行うよう著しい作業量の増加を強制された事もありました。死ぬ気で効率化を図り3倍早く業務を片付け、時間を無理矢理に作っては会社の企画・施策の仕様書作りと向き合う日々。仕事の場で事にあたる場面では、いかに早さを出すかといった事に苦心を重ねた思い出ばかりが蘇ります。

実際この競争社会ではゆったりしている暇なんて一秒も無いハズなんですよね。仕事の場に限りません。自分を磨く…パートナーを探す…趣味に上達する…遍く全てにおいて、ゆったりしている場合ではありません。早さを求める意識が日常的に無い人は、周囲と比較してただひたすらに遅れていくだけだからです。



そんな事は百も承知の上。
だからこそ逆に「ゆったり」に価値を求めてもいいんじゃねえの?なんて私は思ったりもするんだよね。
早さに腐心して心身すり減らしながら何かをもぎとるのも人生なら、その正反対みたいな生き方をしてる人間がいたっていいんじゃねえの?とか思ったりもね。

ほんとにね、忙しいこのご時世にゆったりなんて出来る時間が物理的に隙間も存在してねえよって人も沢山いると思います。だから全員にゆったりする事に価値を求めろなんて言えないです。ただまあ、早さに擦り切れる人々が多い中、ゆったりにも意味があるのだと多くの人が少しでも思いを馳せてくれるくらいの世の中になったら、自分で命を断つような人がちょっとでも減ってくれるよな、とか考えたりね。

今日はこのへんで。

ゴリラを助けろ!光の戦士

ご無沙汰してます。
Kakumei Takumayanです。

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ハフ。



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本日は久しぶりにイシュガルドに行ってきました。

竜詩戦争の爪痕が残る町並みを復興しよう!と皇都下層を「蒼天街」として再出発させる試み、イシュガルド復興が行われています。



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冒険者達の手によって街は急速に復興を遂げていました。
美しい街並みです。
何故こんなにも早く復興が進んだのでしょうか?



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答えの一端がここにありました。
そうです、復興作業と引き換えに様々な特典(アイテム)が得られるのです。

冒険者達はアイテムを手に入れるため、日夜作業に尽力したわけです。
イシュガルドとしては復興も進むし、冒険者は嬉しいし、Win-Winの関係ですね。

ところで手に入るアイテムの中に、気になるものが。
ウフィティホルン…?
どうやらウフィティというものを呼び寄せるアイテムとのこと。
一体ウフィティとは?




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そこには蒼天街復興の陰に隠れた残酷な真実があった。
ウフィティとは過去に冒険者により乱獲された類人猿-ゴリラ-だったのだ。
今まさに、ウフィティを呼び出すアイテムが復興特典として並べられている。


客寄せパンダならぬ、客寄せゴリラ。
再びの、乱獲。


人はまた、同じ過ちを繰り返すのか?
あの美しく復興を遂げた街並み
その裏には、血に塗れた一つの真実があったのだ。



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許せん………!!





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しかし、いくら怒りに身を任せたところで何も出来ない。
私は無力だ。

この世の中は人間を中心に回っている。
生命が保障されて然るべき、という「人権」は「人間」に対してのものだ。
ウフィティ達の生命や自由と引き換えに、イシュガルドの復興が進んだのであれば、それは人間の視点から見れば正しく素晴らしい事なのだ。

マーケットボードには、ウフィティ達が並んでいた。

気づけば私は、手を伸ばしていた。

ここに売られている全てのウフィティ達を助ける事は出来ない
偽善者と言われてもいい
それでも、手を伸ばした先にいるウフィティを
たった一匹だけでも救いたかったのだ。





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今日から君はうちの子だよ。
何も心配しなくていいからね…。






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浮い…っ
ええっ!?
き、君………空を飛べるのかい!??





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さぁ行こう







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二人で








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遠くへ








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どこまでも。