へたれゲーム貴族

未知の世界への鍵(ゲーム)を手に。

粕谷幸司さんのブログに思うコト―――。

本当にたまたま偶然なのですが、小さい頃に何度か遊んだ事のある
親戚のお兄さんをインターネット上で見つけました。

アルビノとして生まれ、自身の事を発信し続けている『粕谷幸司』さんです。
小さい頃、父方の実家に訪れた際に、親戚の集まりで彼の家に遊びに行って部屋でファミコンのロックマンの画面を見せてもらったことを覚えています。
そして彼自身の雪のように白い髪や肌がとても印象的だったことも。
詳しく覚えていませんが、恐らく25年以上も昔のことです、懐かしい。

彼のブログはよく整理整頓の話題について触れられていて、部屋を散らかしがちな自分はとても興味深く面白く、グイグイと引き込まれるように記事を読み進めていってます。

そこでハッとさせられた文章が目に飛び込んできたので、引用させていただいた上で、思ったコトを書いてみたい。


kasuya.net



該当の記事
:ひと昔前のブログブームだったころより、さらに時代は大きく変わって。
:今はもう「知らない人のブログを偶然たまたま目にする」なんてことはほぼ皆無になった。
:「ニュース」など情報を除いては、基本的にすべての閲覧者が「自分が見たいものを選択」して“それだけ”を見ている時代なのです。
:これは…長くブログを続けている僕は、本当に痛感しています。
:昔のように「たまたま見ました」なんてことが、ほぼ無くなりました。
:だからこそ…もう、表現者も恐れること無いんです。
:基本的には「読みたいと思う人しか読まない」んですから!


「日記」についての一文なのですが、もうブログブームは過ぎ去り、あらゆるユーザーが自分の見たいものだけを選択しているのが現代のインターネットである、と。改めて言語化されると……重たい言葉です。

「たまたま見ました」というのは、昔のインターネットでは実は結構あったのです。
僕はこのブログを始める以前、『Ragnarok Personal』というラグナロクオンライン(RO)の個人HPを運営していました。
2年ほど運営して最終的に16,000 Hit(PV)の零細ホームページでした。

そんなホームページでも、ROをプレイしていると耳打ちチャットで「ホームページ見たことありますよ!」なんて声をかけてもらった事が何度かあったのです。
実際、そのご縁でリアルでお会いしたプレイヤーも何名かいました。
あやしいの君(オフ会をしたプレイヤー)……元気でやってるか?!

そう、インターネットとはかつてあてもなく泳ぐものだったのです。それが今では定めた目的地へ訪れることがメインのツールになっているのではないかと。

ならば今、ブロガーは「目的地」としてどのように振る舞うべきか。

こんなブログを続けて今年で20年の僕は、いまだ目的地としての自覚をもってはいません。
令和インターネットにおいてもまだ、誰かが泳いだ果てに漂着してくれる島でありたいと思っています。

それはもう大変に時代遅れなコトだと自覚していながら、それでも彼の言葉を借りるとするならば

「表現者として、自分のスタイルを恐れない」

へたれゲーム貴族はこれからも、変わらずにやっていこうと思っています。
そして一時の思いを巡らせるキッカケとなってくれた粕谷幸司さんこと、こうちゃん。
本当にありがとう。
あなたの行く先にもまぶしい光が待っていますように!