へたれゲーム貴族

未知の世界への鍵(ゲーム)を手に。

コンテンツ摂取前に評価を気にする話

前からちょっと気になっていたSF洋画をアマプラで見ようとした時に、視聴者のレビューが目に入ったんですよね。
つまるところ過去に出た同ジャンル名作の亜流という評価でして、「あーあれ系のやつ」となり興味が無くなってしまって別の作品を見る事に。

……という体験をして、今思うとなんか勿体ないなと思ったりもして。


人生長いようで短いですし、これだけ大量にコンテンツが溢れていると良いものだけを摂取したいのが人間というもんです。

けれど、クソ映画を見るのもオツなんじゃないかとも思うのです。
映画に限らずともゲームでも小説でもなんでもいいです。
それは想像よりもポジティブな体験ではないかと。

良い映画は思い出せる、しかしクソ映画も同じくらい思い出せるのが人間です。
それで「あぁ、あんなクソ映画見たなぁ」と振り返れること、それも一種の財産ではないでしょうか。
クソ映画について語れるだけで映画好きから一目置かれるかも知れないですし。

それに世間の評価が即ち自分の評価になるとは限りません。

世の中の人が揃って面白いというものを、つまらないと思う感性。
世の中の人が揃ってつまらないというものを、面白いと思う感性。

どちらも自分に眠っている自分だけのセンスです。
それに気が付くチャンスかもしれないと考えると、いっそのこと世間の評判なんて気にせずに何事にも飛び込んでみるのが良いんじゃないかな、なんて。

本日はこの辺で。