「どんなに落ちぶれても君を決して見捨てたりしない」
という言葉を耳にすることがあるが、この言葉の本質は
自己と他者、どこにあるのだろうかとふと思う
落ちぶれた友達を見捨てないなど、前提がおかしいのではないか
そも"落ちぶれる"ということは友達を友達と認識するにあたっての友達の性質自体が
認識できないレベルにまで下がりきってしまうことを言うのではないか。
落ちぶれきってしまった時点で、助けたかった友達の面影はそこにはない
ならば、それは他人に対する無償の愛情という性質ではなく
ただ単なる自己の信念、もしくはそれに準ずる自己の精神性の問題であるように思う。
つまりカミツレちゃんがどんなに落ちぶれてビッチになっても僕が(^ω^)