魔法少女アイ参が18禁シーンにおいてもCGが皆無という話題が最近挙がったが
これは簡単に視覚的なエ□を調達できてしまう若い世代への警鐘なのかもしれない。
インターネットでグーグル先生の検閲を外して検索をかければ…
それこそエ□画像などもうイヤというほど目に飛び込んでくるではないか。
インターネットが無かった時代のエ□はどうだ!?
朝早く、公園に出かけ、ゴミ箱に宝(エ□ブック)が捨てられてないか
確認したあの夏休みの毎日を思い出せ!!
雨に濡れていない、完璧な形のエ□ブックを手に入れた時どうだった!?
マンションとマンションのスキマみたいな、誰も人が来ないような
隠れ家的ポジションを見つけては、そこに持ち込んで
隠れてコソコソと読んだではないか(俺だけか)!!
そしてッ、そこに隠しておいてッ
三日後くらいにまた 見てぇなぁ…と頬を紅潮させ興奮しながら
再度その隠れ家に来た時にそれが捨てられていた時の切なさッッ!!
嗚呼、二度と巡りあえることはないだろう
さらば、エ□ブック…そして感情を悲しみが支配するだろう。
だからこそ、脳内メモリを私たちは鍛え、いつもどこでも想像が出来るように
今まで出会い、別れてきた数々のエ□ブックを脳裏に焼き付けてきたのではないか!?
それが今ではどうだ。
小学生がグーグル先生にお願いして簡単にエ□画像を手に入れてしまえる世の中だ。
昔はおっぱい一つ見るのにどれだけ苦労が必要だったか。
そして、それだけ苦労したからこそおっぱいは眩しかったのではないか。
由々しき世の中であると思う。
苦労せずして得たエ□にどれだけの価値がある?
想像力の欠如こそ今の世の中が招いた最大の悪なのだ。
人間、エ□画像などなくとも、想像でおな○にー(伏字失敗)する事は可能だ。
最近の若い世代は、おかずを用意しなければお○なにー(伏字失敗)することすらできないのではないか?
そう、今回の魔法少女アイ参事件はこのような世代の著しく欠如した想像力に対する警告なのだ。
人類が道を誤ることが無きよう、その身をもって我々に伝えに来たのだ。
世間からどれだけ非難されようと、魔法少女アイ参は一つの道を提示してくれた。
地動説を唱え、裁判にかけられたガリレオ=ガリレイをも彷彿とさせる崇高さだ。
例え、エ□CGが存在しなくとも「それでもエ□は行われている」と。
と、ここまで頑張って擁護してみましたけど
フルプライスで売っちゃいけなかったよね。アレは。