僕は前回「体言止め」という言葉で体言止めを行った。
文章を書き、文章を見てもらう者にとって精神的な自殺行為である。
何故なら発想がベタだからだ。闘魚。
僕の思考回路は小学生並だ
「コレ思いついた!やろう!」
思いつき→実践まで1秒と至らず
病的なまでに思考のプロセスが抜けている。
こんな文章も、思考のプロセスを抜いて書いている。
チーズ。
そして僕はネットスラングの集合体であるブロント語にハマっている。
というか、行き着いた。
大切なことなのでもう一度言う。
一時のマイブームや感情ではない。
行き着いたのだ。
ブロント語とは
「誤字」「脱字」「スラング」「誤用」の四つの要素をふんだんに取り入れた
一種の新しい文章体系ともいえるものである。
本来、文章の意味することとはつまり「読み手に何かを伝える」ことである。
そして、古来より様々な修辞技法が生み出されてきた。
僕が何故、ブロント語に魅せられたのか。
それは誤字・脱字・スラング・誤用といった、読み手の理解を妨げる要素が
これでもかと取り入れられているにも関わらず
「何が言いたいのか理解出来てしまう」というその文章の全体像だ。
文章構成をわざと崩壊させているにも関わらず
読み手に理解させてしまうというこの不思議な文章のロジック。
その矛盾に魅せられたのだ。
いつの時代も、人はミステリアスなロジックに誘惑されるものである。
最高に大げさに言ってしまえば、宇宙の真理などがそれにあたるのではないか。
知りたいという欲求と自分のものにしたいという欲求はほぼ同義であるが
規模的に知識欲にカテゴライズされないのというのはミソなのである。
漠然と知りてぇ 分かりてぇ というレベルに関して人は大抵渇望的だ。
理解してぇ とは異なる。
あっちは、欲求に専門性を伴うからだ。
閑話休題。
ブロント語は出自がネットゲームであり、文体が軽く、雰囲気がライトだ。
これを理解することで生きる上のメリットに直結はしない。
だからこそ、知りたい範囲ならまぁわかりてぇ、と思っても
これ勉強してマジ今後の人生に役に立てる!!と思うことは無い。
まぁそういう人は500万人に一人くらいいるかもしれないが。
そういう、間接的にとはいえ存在自体が欲求のレヴェルをセーブしていること、
それが不思議な欲求の葛藤を引き起こし、揺さぶられる感情。
魅力。
すげぇ!ブロント語のミステリをひとつ解明してしまった予感!
ごめん全部ウソだ!適当に思い付きを書いた!
やっぱり思考回路が小学生だ!
理由なんかどうでもいい!