自分はいつからか「ゲームが好きなのではなく面白いゲームが好きだ」と変わってしまったのかもしれないと思う。
社会人となり子供の頃のようにゲームだけに潤沢に時間を割けるわけではなくなったのだという自己弁護をしながら、凡ゲーやクソゲーに振り回された十数時間も無駄なプレイではなかったとするゲーマーならではの度量が欠けてきた自覚が少し胸に刺さる。
ゲーム以外に趣味のない男がゲームを許容できなくなってしまったらどうするのだろう。
そしてそんな事をふと考えてしまう自分は一体どうしたものだろうと、取りとめのない疑問がまれに頭の中をよぎるのだ。
面白いゲームに出会うためと、新しくゲームを始めるためにそれなりの体力と気力を消耗するようになったのはいつからか。
去年、これと全く同じ危機感を覚えてPS4ごとペルソナ5の購入に踏み切り大満足の結果となったのだが自分はどうも定期的にこの満足感を忘れ去ってしまうらしい。
ゲームなんて遊びたいものだけ遊べるだけやればいい、だからゲーマーであり続ける為に新しいゲームに挑戦し続けるのはナンセンスだと思っていたが、こうして疑問を文字に起こしている最中に答えが一つでそうだ。
ゲーマーであろうとすれば、良い出会いが待っているのだ。たとえば世間が凡ゲーと評する自身の至高の一本なんてものにはゲーマーでなければ出会えまい。
ならば重い腰をあげよう、自分だけの一本に出会おう。
何もマイナーゲーを発掘するのが目的じゃない。
全世界300万人がプレイしているゲームでさえ、遊んでしまいさえすればそれは自分だけの一本だ。
幸い、インターネットを介してゲームを購入できる手段は幾らでもあるのだ。
新しいゲームに会いに行こう。
─マンネリ化しているなという自覚があるにも関わらず、惰性でソシャゲを続ける自分への自戒を込めて。