へたれゲーム貴族

未知の世界への鍵(ゲーム)を手に。

人間は正しい進化をしたのか?

生物は、進化をする以上、その進化は必ず正しいモノであるハズです。

逆説的に言えば、生命体は間違った方には、進化する事は出来ません。



しかし人間の、「意思を持った」という進化の仕方にはいささか問題があるとか最近思うんですよね。僕。
頭そろそろ変になっちゃったんでしょうか?ふへへへ(笑)



人それぞれ、その個人個人に60億の意思があります。
しかし、その意思なんざ他人同士で全く同じものを共有する事は不可能ですし、しかしお互いに認め合おうと努力する事もあれば、時には排斥し合います。
ここまでは問題ありません。ええ。


問題は
この意思を奪うのが非常に簡単な事です。



世の中の大抵の生物は、テクにもよりますが(笑)鉛筆一本で刺し殺す事が可能です。
人間なんか肉体的に生物中では低レベルなもので、鉛筆どころか針一本、むしろバナナの皮でも死ねます。

人間が果てない夢を語り、綴り、作り、文明を築きあげてきたのは紛れも無く
脳ミソが発達してるからであり、何かを生み出そうとする意思があるからです。


そんな意思すら、バナナの皮で鼻を3分塞がれただけで終わってしまうのです。


エクアドル産デリシャスの皮と、日進エースコックを作るだけの時間さえあれば
悩みがあり、夢があり、俺(私)という自我を、意識を、知性を持つ人間の命を奪えるのです。


原始の単細胞生物から見たら発達しすぎた自己・意思・知性…

誰か(若しくは大勢)の意思(命)が奪われた事で、それは時として争いの火種(復讐・戦争)となりさらに大勢の意思が奪われてゆく。

60億ものそれぞれの意思というものは、本当に生命体の進化の上で必要な要素だったのでしょうか?
それとも生物史においても神の想定の範囲外だったのか…

どちらにしろ、エクアドル産デリ(略)ですら死ねる人間です。そんな簡単に死ねるのですから、それはもうバランス崩れたクソゲーみたいです。

だからこそ、人間は死なない為、意思が死という要素で消えぬ為、
人間は非常に痛がり屋な生き物であり、種としての存続よりも、自己の存続という既存の生命体とは違う命の方向性を打ち出した人間というものは異端であり、不思議でならないのです。


小学生の頃プールで着替えの時間に見たK山君の毛深いオティンテーヌを見た時に感じた、なんで俺(達)には毛がないのだろう、不思議だ。
という気持ちに酷似した感情でありますが、それは時間とともに解決したものです。(稀に解決しない方もいらっしゃるようですが)


しかし、人間の進化については僕が生きている間に解決するような不思議ではないようです。



人間であることの不思議なんかよりも、何で俺背のびねえの?不思議。何てことに不思議を感じるのがきっと人間だから。