雑文576 vs.善意と他者の領域の螺旋

2025年末から2026年始へ。
部屋を掃除し、不要なものを捨て、心機一転。
そんな健全な流れが、この時期にはある。

しかし、僕にはその流れがまったく来なかった。

生来のズボラ気質がいかんなく発揮され、僕の自転車のカゴはというと、
・バランスパワー(カロリーメイトの亜種)の空き箱が二つ
・350mlのコーラのペットボトル
・サドルを拭く雑巾

という、「ここはゴミ捨て場で~す」と自己紹介しているような惨状だった。

別に意図してゴミ箱にしていたわけではない。あとで捨てよう……が積み重なった結果、人間はここまで堕落できる、という実例である。

そんなある日、図書館に行くため自転車を止め、本を読み、暫くして戻ってきた。
そこで僕は、自分の目を疑った。

自転車のカゴが、やけにスッキリしている。




あのバランスパワーの箱も、コーラのペットボトルも、跡形もなく消えていた。
残っていたのは、雑巾だけ。

考えられることは一つ。
バランスパワーの箱がどうしても必要だった人が、たまたま持っていった。

いやまあそんなわけはない。
現実的に考えれば、これはもう惨状を見かねた誰かが、善意で片付けてくれた。それ以外に説明がつかない。雑巾だけが残されていた理由は、ゴミではなくまだ使うものだと判断されたのだろう。

毎年毎年、「現代はすさんでいる」「人は冷たくなった」なんて言われがちだけれど、
こういう、名前も顔も知らない親切は、確かにまだそこらへんに転がっている。

おしまい。



……さて正直なところ、これを美談として消化してしまうのは、だいぶ違う気はしている。

というのも、現代はプライバシーとプライベートの境界線が、かなり繊細になった時代だ。僕の自転車のカゴは、僕の私物であり、そこに手を伸ばす行為は、他人の領域に踏み込むことでもある。

一昔前ならいい人だねで済んだ話だ。だが今では、それはしていいことだったのか?と、一度立ち止まって考えるべき話だろう。

そういった問題意識はあるのだが、もっとはっきり胸に刺さった確固たる事実は、僕の自転車のカゴは、第三者が介入したくなるほど、ひどい状態だったということだ。

これはもう、弁解の余地がない。
現代の価値観がどうとか以前に単純にだらしなかった。反省だ。

だからこれは、思いもよらない形で訪れた「身の回りを整えなさい」というお告げだったのかもしれない。


今日はそんな事を思いつつ、最近始めた『トリッカル・もちもちほっペ大作戦』というスマホゲームに夢中だ。気が向いたらトリッカルの日記も書いてみたい。それでは。