へたれゲーム貴族

未知の世界への鍵(ゲーム)を手に。

ブログ開設18年目

2004年のこの日にブログを立ち上げて18年が経過した。
18年ともなると、そろそろ趣味の一つに数えてもいいんじゃないだろうか。

川釣り、体操、ミステリ小説読書、カプセルホテル巡り。
辞めてしまった趣味が幾つかある中で、ブログライティングだけが今も僕と共に時間を刻んでいる。

僕にとってブログとはなんなのだろう。

かつてブログを付けて何か反応がもらえるということは殆どなかった。
今はありがたいことにTwitterで繋がった仲間が感想をくれたりするので書き甲斐があるのだが、逆にいえばそれまでブログに何かしらの『見返り』という形での書き甲斐は全く無かったのだ。
ただ、何かしらの見返りがあっても無くても、僕は書き続けたし書き続けていくと思う。

どうも僕は何かを発信したい側の人間であるらしい、その質はお粗末であろうと。
発信欲はある程度Twitterで発散してはいるが、140文字に収まらない猛りもある。

猛り。
そうか、きっと猛りなのだろう。
文体に関係なく、ここに出力される全ては何かの猛りだとか、迸りなのだろう。

自分という人間の形状の内側に言葉を留めておくのが難しい。
我慢をするのが困難だ。

だから猛る。
何の変哲もない18周年の雑記ですら、きっとこれは猛りだ。

中年にはまだ差し掛かっていないが青年をとう過ぎる程度には生きてきた。
我慢をしがちな少年・青年期だった。
外側に合わせ、内に秘めたものはおくびにも出さずに体内で消化してきた。
その自分が唯一、発散を我慢しなかったものが文字であり、その集大成がこのブログなのだろうと自己分析する。

爽快だ。

記事を書き上げた時は爽快だ、例えそれがどうしようもない駄文だろうと、偶然反響をいただけたものであっても、誰から何を言われても言われなくても。
内側にあるものを外に猛り捻りだすことは、爽快だ。

メガヒット級のブロガーに比べれば僕とこのブログは取るに足らない存在だろう。
それでも1日100人近い人が訪れてくれ、中身を読んでくれているらしい。
内から出るものをただひたすらに言語化し、外に出すという爽快な行為に、さらにそんなおまけがついてくるとは。
僕はこのブログに関わってこの上なく幸福な思いをさせてもらっている。

ありがとう、ただひたすらにありがとう。
19周年、そして20周年に向けて、これからも猛っていきたい。

へたれゲーム貴族を、これからもなんとなくヨロシクお願いしたい。