僕は基本的にはネタバレに配慮するようにしている。
ただネタバレといっても人によって基準があると思うし、僕にも自分なりの基準がある。配慮している人同士でも、その基準次第では摩擦が起きるかもしれない。
ちなみに自分の基準だとゲームなら
×「あそこのボスは●●だよ」
固有名詞出しちゃうとね。。
△「あのボスは弱点が●●属性だったからパーティ編成に苦労したなあ」
攻略法については判断が難しい。
情報を出す事で攻略の興が削がれるタイトルだとやらないようにしてる。
ただこのやらないようにしてるってのも自分視点の話だしなあ。
自分はアクション系のゲームだと「横薙ぎフェイントで急に飛び掛かってくるのズルだろ」とかは言ってしまう事があるけど、これってアクションが好きで自分で攻略法見つけたい人にとってはクソなネタバレだと思うし。
〇「あそこのボス苦労した」
強かったとも自分と相性が悪かったともとれるからこんくらいぼかした感じならまあと思ってこの程度は良く言ってる。
大体こんくらいの基準。
広い意味でいえばこれらも全部ネタバレだから配慮してるつもりでも知らない内に誰かの楽しみを削いでしまってるかもしれんけど。
急にこんな話をしたのは友人に全くネタバレを気にしない人がいるのを思い出したからだ。
ゲームしかしない自分と違い、ドラマ、小説、アニメ、漫画、ゲームと日々膨大なコンテンツに触れている彼だが、何に対しても全くネタバレを恐れない。
それどころか「こいつどうなるん?死ぬ?」とか「怪しすぎるんだけど敵?」だとか「進撃の巨人ってラストどうなるの?」とか平気で聞いてくるあたり、むしろネタバレが"好き"なのかもしれない。
聞かれる度に毎回毎回「いやネタバレに……」「俺は気にしないので」というやり取りをしているので本当に気にしていないらしい。
彼や、ひいてはネタバレを気にしない人は結果よりも過程が好きな人なのかもしれない。
そしてその過程を実際に自分の目で確かめることで満足するというタイプなのではないかと思う。
彼は既に犯人が最初に示されていて、探偵や刑事側が少しずつ犯人に迫っていくタイプのミステリ小説がとても好きであり、そういう趣味の影響もあったりするのかもしれない。
もしこの誰が何を言おうと『自分で観測して初めて満ち足りる』という部分が彼のコンテンツに対しての楽しみ方であったなら、それは作品の消費者の在り方としてある種の無敵さを持っているというか、非常に羨ましいと感じる。
自分の目で見て耳で聞いて、という自分だけが体験する部分を最重要視するのって、情報洪水時代の現代では中々難しいと思っている。
誰かの体験談でそれを知った気分になってしまう事もある。誰かの感想で善し悪しを判断してしまった事なんか数えきれない。
もちろんネタバレを受けることでその体験自体が大きく変わってしまうことがほとんどなのは間違いないが。
ただ、万が一ネタバレを受けても
「あー興が削がれた、この後分かりきってるからつまんねぇ」
となるよりは
「言われた通りの展開だけどキャラの表情も声の演技も展開に至るまでの細かい部分もいざ見てみるとスゲェ!」
って何ともないくらい楽しめるような強力な人間に近づくたいとか考えたりもするのだった。