へたれゲーム貴族

未知の世界への鍵(ゲーム)を手に。

祝福

幸せだって言ってんだから、みんな私を祝えバカ

社会と共同体が口を揃えてがなる一般的な幸福論、そして人の幸福とは、と考えさせられる内容だ。
「不幸である自由だって認められるはずだ」という言葉にも力強いものを感じた。(俺はばかだから上手く言語化できないのだ、ちくしょう)



個性を認められる社会であるべきだと皆がいう。

自身の都合やライフスタイルの関係で独り身をよしとしたり、友達といるより一人が好きであったり、到底理解されないような趣味をもっていたり、そういう人は決して少なくない。
けれど彼らが自分の幸福がそれらに起因するものだと主張しても「今はそれでいいと思うけど」「あなたがいいと思うなら、でも世間はね」という返事を浴びる世の中だ。
これらは皆がいう個性とは別物の概念らしい。


伴侶がいては歩めない道を往きたい人の人生は、おしどり夫婦の人生の下位互換
自由をよしとする人のその日暮らしの人生は、定年まで勤め上げる人生の下位互換
リアルのしがらみを嫌いSNSで仲間を作る人の人生は、仲間に囲まれた人生の下位互換
心身摩耗し無理しない範囲で出来る事をやっている人の人生は、元気な人の人生の下位互換

こう定義づけるヤツはその口で「多様性を認めましょう」なんて二度と言うな。

過激派となると人間の生産性やら生物としての存在意義やらに言及してくるがそれはもはやカルト宗教だと自覚しろ。
群れのために餌を集め交尾して増える動物を模範的な存在だと定義づけたその口で、「個性」だの「人それぞれ」だの「多様性」だのそれに類する言葉を、あらゆる取捨選択をして平均的な人生を外れたがそれでも矜持を抱いて生きている人に向けて紡いで憐れむような真似をすんな。


といつか言語化したかった。
その機会をくれたこのエントリーの作者に感謝する。
そして祝福する。

読者の皆様も、人生のあらゆる選択に、祝福あれ。