へたれゲーム貴族

未知の世界への鍵(ゲーム)を手に。

雑多文章録353 千代に連なる歴史の山

今回題名と東方は関係があまりない。

そもそも僕が題名と日記の内容が綿密に紐付くような記事を
書く確率というのは極めて低い。
気にするな。
レナニゼカ。
走れ。
レナニゼカ。

僕は総理大臣に偶然声をかけられる。
「今の総理は誰か知っているかね」
僕は今の総理を知らない。
しかし総理にものを尋ねられたときの切り返し方なら、知っている。
「ソーリー」
総理は物憂げな表情で「またか」と言う。
相当うんざりしていた様子だった。


僕は何故ブログを更新し続けるのだろうか?
答えはでそうにないが、無理やりにでもひとつ解を挙げるとするならば
己の日常を打ち込み続けることで歴史を紡ぎ、過去を振り返りたいから、 だ。

最初の僕の更新を見た。
あの頃はまだうら若き専門学校の一年生だった。
バレンタインでチョコが貰えないことのはらいせに
記事の中でバレンタイン司祭に八つ当たりをしていた。
僕、かっこ悪い。

社会人に成り立ての頃の更新を見た。
割とリストカットしていた。
僕、かっこ悪い。

最近の更新を見た。
なんだかよくわからないことばかり書いていた。
僕、かっこ悪い。

こんなにかっこ悪い歴史ばかりを紡ぎつづけることに
何の意味があるのだろうか。
それでも僕はレキシツクル。



ところで僕は、最近文章を書くとき体言止めにハマっている。
というか 行き着いた。
一時の感情やら、マイブームやらではない。
ここに行き着いたのだ。

体言止めとは、いわゆる文章の剣だ。
文章にスッと切れ味をつけ加える、剣。
それ故に、多用する事はぶつ切れだらけの文章を作ってしまい
ぞんざいで粗略な印象を与えてしまう。

体言止めを、長い文章の中ここぞ、というときに放てば
それは素晴らしい余韻を残す名文をも生み出せるだろう。

だが、それでいいのか。
なぜなら僕は常に剣でありたい。
投げやりで結構、ぞんざいで結構、粗略で結構。
斬る、斬る、僕は文章を斬る。
一本の長いキュウリを延々と喰わされるのもいいだろう。
だが、どうせなら僕は輪切りのキュウリをひたすら食べたい。
そんな理由は後付だ!
実はどうでもいい、体言止め。