へたれゲーム貴族

未知の世界への鍵(ゲーム)を手に。

ゲー録279 これからのゲーム業界に期待すること

テレビゲーム業界も保守的になりつつあるのであろうか。

ここ近年、発売されるタイトルといえばビッグタイトルのリメイクか、シリーズの続編ばかりだ。
完全新作といった形でリリースされるゲームはあまり目に留まらないように感じる。

今月末にも「ヘラクレスの栄光」「フロントミッション」といった歴史のあるシリーズの続編が発売されるが
しかしハードはニンテンドーDS(携帯機)であり、ここにも少し販売に対して守備的なイメージを感じざるを得ない。

「PS2やPS3のようなハードで完全新作を出す」という攻勢に出たがらないのはゲームメーカーも客商売であるから博打を打つような真似はしたくないし、堅実にある程度儲けの見込める商売・開発の仕方をするだろうから仕方はないかもしれない。

しかしファミコン時代、スーパーファミコン黄金時代を考えてみよう。

まるで混沌のように次々と新作、意欲作の嵐が吹き荒れていたではないか。

上記に挙げた「ヘラクレスの栄光」「フロントミッション」も元はといえばその時代に出された新作のシリーズである。

俺は思う

例えB級でもいい、かつての混沌期のようにメーカーは新作、意欲作をどんどん発表してほしい、と。

今のユーザーはゲームの出来に満塁ホームランを期待しすぎなのではないだろうか?
名作シリーズの続編といえば、特に不満なく遊べるが、野球に言い換えれば内野ゴロのような手堅いイメージしか俺は感じ無い。

1990年代のスクウェアソフトを思い起こして欲しい。

今でこそ「ロマンシング・サガ」シリーズはおよそ名作と評価を受ける作品であるが、その初期作品、ロマンシング・サガは発売当時ユーザ間では奇作、珍作の扱いであったことを知っているだろうか?

フリーシナリオを初めとした挑戦的、意欲的なシステムを評価していき、名作と呼ばれる領域まで昇華させたのは他でもない、ユーザ達自身が新システムへ挑戦し、楽しみを開拓することが出来たからではないか?
あの頃のユーザは受動的ではなかった、新作に対してとても意欲的だったのだ。

それが今の風潮はどうだ、ユーザはメーカーが一心にただ楽しめるだけの作品を心待ちにしているようにしか思えない。
ゲームに遊ばれて満足している、満足しようとしてはいないか?
違う、ゲームとは自ら遊ぶものだ。

俺自身が一番親しんだのがスクウェアなので、またまたスクウェアを例に挙げて申し訳ないが、例えば「LIVE A LIVE」や「ルドラの秘宝」は満塁ホームランであっただろうか?
メーカが満塁ホームランを狙って世に送り出した作品という雰囲気であっただろうか?

当然答えはノー、であるが、今でもニコニコ動画などでプレイ動画が豊富にアップされていたり、RPG製作ソフトで「LIVE A LIVE」風に作られたゲームの動画がランキング上位に入っていたりするのは紛れも無く当時のユーザー達が各作品の「独特の味」を今に到るまで評価し続けているからではないのか。

その独特の味、例えB級風味であろうともユーザーはその味を評価し、世に語りついで行かなければならない。
そしてメーカーはその独特の味を出した作品を意欲的に世の中に送り続けるべきだと俺は考えているし期待しているんだ。