へたれゲーム貴族の躁鬱

ゲーマーの雑文記。テキストサイト時代の生き残り。

雑文528 探せない・選べない人

うーんなるほど


・若年層にとっては読む漫画を選択する事がストレス
・自分で選ぶ事なく自動的に次の動画を再生するTiktokは若年に大流行している

という事。

若年層と括られているけど、「その分野に興味はあるが知見が浅く、自分のニーズの満たし方が分からない」という人は全てこういう状態なんじゃないかな、って思ったり。

そのような状態にある人の内、若い人とはまた違った理由で社会人層も似たようなレコメンドサービスの需要があるんじゃないかと思う。取捨選択を失敗したくない理由が、若い人は「お金」=自分で選んで買った漫画がつまらなかったらお金の無駄だ。というものが多いはずで、社会人層はお金の部分が「時間」になる。探すのに時間をかけ、つまらない作品だったら時間の無駄であるから、自分のニーズに合ったものや人気のものを見繕って貰うサービスは一定の需要があると考えている。


ここまでは自分のニーズの満たし方が分からない人の話。

多少なりともその分野に首を突っ込んで、自分のニーズの満たし方がある程度分かっている人は、今度は失敗しないために吟味するようになる。
要するに取捨選択という行為のため、作品の情報を集めたりする。


ここからは僕の好きな分野、ゲームについて話したい。

僕は取捨選択というものには娯楽性があると思っていて、ランスXというゲームが何故面白いのかというのを書いた記事にて、そこに取捨選択をする楽しさがあるという事を書いた。国民的な娯楽でいうと麻雀にも同じ事が言えると思う。麻雀には手牌と毎回のツモ牌を比べて最適な一打を取捨選択し続けるという部分に娯楽性が存在している。

昔ながらのゲーム少年・ゲーム少女だった人達には分かって貰えると思うんですけど、選ぶ事ってワクワクして楽しい概念のハズなんですよ。少ない小遣いやらお年玉を握りしめて、ゲーム屋の店頭に並んだソフトのパッケージを見て、買う一本を決める。楽しかったじゃないですか。今で言うクソゲーも結構溢れてましたけど、そういうのを掴んでもゲームなんて頻繁に買えるようなもんじゃないから仕方なく遊び尽くしたりね。


今では、大人になってお金や時間の価値観が昔と変わったからというのもあるけど、なんか昔よりは自分で選ぶ事のワクワク感が少し変質してきたな、と思ったりもする。

次にどんなゲームを買おうか選ぶ時にワクワクしないわけじゃないんだけど、これだけ世の中に情報が溢れてる時代だと、「どのゲームメディアも絶賛してるゲーム!」とかそういう世論に、気付かない内に取捨選択の背中を押されているような、そんなちょっとした不気味さを感じたりもするんだよね。


ただ、かつてのゲーマー少年が大人になって、例え同じだけゲームへの情熱を持っていたとしても、当時と同じゲームへの可処分時間を持っている人は殆どいないと思う。そういった意味でこの情報が溢れた世界というのは、有り難くもある。買うゲームを選ぶ時間を削減出来るし、事前レビューを見れば失敗も減らせる。(レビューの有効性はまた別の話で)


まぁこの記事にほんとオチもヤマも無くて申し訳ないんですけど、僕はいつになっても「探せる」「選べる」人間であり続けたいな、と思う。特にゲームに関してはね。
それは「探せる」「選べる」事が偉いから、リテラシーがあるから、というわけではなく、純粋に探す・選ぶ事が楽しいと自分で感じているからです。
だから選べない人を悪く言うつもりは全くないです、娯楽への関わり方に優劣なんか無いと思いますしね。

娯楽への関わり方に上も下も無いとか書いた側からこんな事言ってあれですけど、最近のゲームは映像だけでつまらない!みたいな事言ってる、恐らくかつてゲーム少年だったであろう人っているじゃないですか。彼らって昔は探せた、選べた人だと思うんですよ。ただ何かの理由があって今ではゲームへの関わり方が"昔を語るだけ"になってしまってるんですよね。そういう意見を見る度にマジで勿体ないと思ってます。

正直映像だけで売れる時代なわけね~と思ってます。ベストセラータイトルってそれなりの理由があるからベストセラーなんですよね。食わず嫌いせずに今のゲームを「探して」「選んで」遊んで欲しい。映像じゃなくてアイデア勝負!という昔っぽい作品だって、インディーズにゴロゴロ転がってますからね。


相変わらずまとまりがない。
今日はこの辺で。