へたれゲーム貴族

未知の世界への鍵(ゲーム)を手に。

隙自語2019

隙あらば自分語りの略。

私自身の話なので特に記事更新の宣伝もなし。
正直な話、ここ10年くらい、これを書く日が訪れるのだろうか?とずっと心の中で思っていた内容。
そのタイミングが訪れたのでここに書き留めておきます。

お時間のある人だけ続きからどうぞ。
こんな人間でも生きているし、誰でも生きていていいんだ、っていう励みにでもなると嬉しいです。

 
ただの自分語りです。



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ネトゲ(RO)がやりたくて、専用PCが支給されるという理由だけで某専門学校に入学。
不純すぎる動機、勿論家族にも伝えてなどいません。

そして訪れるモラトリアムの終焉、学校の卒業シーズン。

生来、人前で喋る事が苦手で、友人も少なく、引っ込み思案な自分ですが、この時に少しでもクラスの就職率を上げたい担任から「新卒で入る君たちならば、大声を出して元気をアピールしていけばなんとかなる」と口うるさく言われました。就職というイベントからは決して逃れられない事を理解していたので「ああ、じゃあそういう風に頑張ってやってみるかなぁ」と意を決したところ、明るい人間の演技をする才能が少しはあったらしく、都内の企業に内定。元気が一番良いという事で新入社員の代表を務め、会社の催しではしょっちゅうスピーチをさせられたりしました。実際は陰キャなのにね。


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そして社会に出て暫く時間が過ぎた。
IT企業で慣れない夜勤と日勤を繰り返し、
ブログには仕事の愚痴やら精神面の不調を訴える記事が増えていく。

労基法と労働安全衛生規則が守られておらず、勤務者も全員それを知りながら目を背けていた現場。
自分といえば、三年が過ぎる前に

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通勤中、駅前で嘔吐しながら倒れ、気絶。
救急車で搬送され、そのまま休職→退職のコンボ。

写真は当時のブログ記事から引用。
こんなふざけた写真で記事を書きながらも、完全に鬱をこじらせてしまい、何もやる気が無く一日16時間ほど眠り続ける日々。
毎日遊んでいたこのネトゲ(AION)すらもログイン出来なくなりすぐに引退。

「お前、鬱で仕事を辞めるなんて甘えだぞ、どうするんだ」という親の言葉にもやられる。気を失って病院に運ばれても、甘えなのだろうか、と思い詰め、文字通りの寝たきりのような状態が暫く続く(この日から七年くらいが経った後に、この件は両親と和解しました)。


時が経ち、3.11 東日本大震災が発生。
日本が終わってしまうのではないかというような不安感がありました。
そういった不安は自分だけではなかったらしく、この時に昔lovシリーズで知り合った知人から「こんな時だけど、みんなで集まってTRPGをやってみないか」という提案が。

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そして私は初めて遊んだTRPGに熱中。
同卓した知人達は友人という関係へと変わる。
彼らと定期的にTRPGをやるために通いたい…そう思い、社会復帰して交通費を稼がねばならないと思い立つ。

最初は簡単なバイトからスタートし、様々な現場を転々としていった。
一年も経つ頃にはフルタイムの現場で働く事が出来るように。

また、とあるゲームをやり込んでいた事による縁から、あるベンチャー企業へ入社する。責任感のあるポジションをすぐに任された上に様々な経験が出来たが、休日にも仕事に関係する諸々を強いられる事が大きな精神面の負担となり、暫くして退職。

この頃に限らず、自分はガタガタの人生に、普段道を歩く時すら顔を上げて歩く事すら出来ずに過ごしていた。通勤電車に揺られる人を見て、道ですれ違う色々な人を見て、どうしようもないクズである自分と比べて陰鬱な気持ちで日々を過ごしていた。

さらにその後、ライターとして内々定が決まっていた医療系の企業に、直前に内定取り消しを受けるという、何かの仕打ちとしか思えない悲しい出来事を経験。希望が見えても直前でダメになってしまうんだ、という強い刷り込みを心に受ける。

内定取り消しを受けた同じ日に、ダメ元で応募していた某国立大学の非常勤職員に採用される。二年間だけの契約という事もあり、安定した仕事でも無いが自暴自棄になっていた自分は2つ返事で了承。元よりここを蹴ったら生活費もない。

用務員に近い事務・総務であったが、今までとは毛色の違う職場で新鮮だった。それに自分の能力を活かして事務仕事を円滑に回す事ができ、心も穏やかで楽しく過ごす事が出来た。
(余談だが、今まで民間勤めの身では信じられない凄い世界で驚いてしまった。
事務主事も事務主任も、基本的には大学内の資料とExcelなりWordなりでにらめっこしてデータを弄るのが主な仕事にも関わらず、両者とも簡単な関数も分からないどころか「そんな自動で計算するようなもので不具合が出たらどうする」と電卓手打ち計算で膨大なデータを処理していた…。彼らから一ヶ月分としてデータ処理の仕事を振られた時は、当然関数でチョイと計算して二日も立たず仕事が終わりました…。これが昭和中頃に生まれた公務員の仕事ぶりかぁ……これで給料を貰っている人間がいるんだから、世の中どこにどんな仕事があるのか分からないや…)



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同時に、このままブラブラ過ごしてゆっくり朽ちて死んでいくのかな、という気持ちだけはそのまま心に在って、それは毎日毎日一日たりとも、無くなる事も薄れる事も無かった。

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通勤中に倒れて仕事を辞め(休職)ましたと書いたあの記事から早10年。
社会に居場所が無いだけで、自分が何者でも無いような気持ちがし続け10年。

小さな会社に、先日一つ内定を頂く。
10年、長かった。
これからがようやく本当の社会復帰と言えるのかもしれない。

もちろんどうなるか分からない。
無理のない労働条件の場所を選んだつもりではある
しかし、もしかしたら同じように激務に倒れるかもしれないし
もしかしたら同じようにそれで辞めてしまうかもしれない。

もちろんそうならないのが一番だが…

それでも、自分の力でたった一つだとしても、もぎ取った社会復帰への道。
これからはどんな事があっても、少しは前を向いて道を歩ける、ような気がする。



正直なところTwitterとかにはこういうの一切書かないが、毎日ただ息苦しく、生きてて良かったと思う事なんか無かった
楽しく遊んだ日だって
笑顔で過ごした一日だって
そういった日ですら苦しくないと思わなかった日なんて一日も無かった
10年ずっと毎日だ

でもようやくその呪縛が少しだけ緩まった気がする
重かった。本当に苦しかった。
その呪縛の正体も良くわからないけど。

あ、あと大変なのはこれからだし…。

でもなんかどんだけ大変で万が一辞めたとしても、前よりも元気に生きていけると思う。うん、良く分からんけど。そうならんようにしたいけど。


ゲームが趣味の小さくて不細工なおっさんの自分語りはこれでおしまいです。
拙文をお読み頂き、ありがとうございました。
ちょっとやそってでは、大丈夫だと思います。
何の根拠もありませんが、皆さん強くても弱くても大丈夫です、生きてください。
弱いまま生きていても、きっと大丈夫なんです。

昔は良くブログに自分の事書いてたけどここ数年は書かなかったからこういうの久しぶりだね。