へたれゲーム貴族の躁鬱

ゲーム雑日記。ライブドアブログから移転してきて日が浅いです。名前が長いので「へげ貴族」とでも呼んでください。

不登校。

不登校少年Youtuberが話題になってるみたいですね。
学校、別に行きたくなければいいんじゃないでしょうか。
たまに書くけど高校在学中は僕も相当サボってたし。

ただ僕は高校サボるのと小中学校からサボるのって結構意味が違うんじゃないかなって思ったり。

人間って小中学校の間に、体つきも違う性格も違う感性も意見も違うって大勢の「他人」と、どう折り合いをつけて生きていくのか、こういう事をしたり言ったりするとどう反応が返ってきて、どう対応すればいいのか。っていうのを学んでいく事が出来る場所なんですよね。小中学校9年間やっていれば、高校生にもなるともうそういうのは未熟ながら最低限は身についているわけで。

そういう学びなら他に大勢の子供が参加する習い事とか行事でも出来るでしょ?って言われそうなんですが、それらは学校ほど毎日行く機会は無いし、習い事や行事という時点で特定の事をやる為に来ているので、学校ほど色んな事を他人とやる事は出来ないです。

ほぼ毎日行く上に色々な事をやらされた上で、それらに対して他人との折衝を学んで対応のケースが身につく。学校って便利なオールインワンパッケージなんですよね。活用しない手は無くないですか?まぁ行きたくはないですけど。

小中学校のこういった学びって、自分以外の人間がたくさんいるところでやっていくための基礎作りになるんですよね。コントローラーでいえばAボタンを決定キーに、HSボタン押すとハイスラが出るように、っていう調整をここでやってるんです。僕も学校での学びが足りなかったんで、未だにAボタン押すとキャンセルになったりHSボタン押すと挑発が出たりして対人コミュニケーションに困ってはいるんですが、人前でAボタン押すと強パンチが出たりはしないので一応学校行っといて良かったなとは思います。たまに出そうにはなりますけど。

ただこの自分以外の他人がたくさんいるところでの折り合い学びをしている最中に、どうしても上手くいかない、どうしてもダメになってしまった、精神的につらい。という状況に追い込まれてしまった人もいると思います。こういった場合は自分の心、ひいては命を守るのが大切なので、不登校は手段の一つです。そういう状況になるまでは他人とコミュニケーションを試みようとした(中にはコミュニケーション関係無く初手から相手の悪意みたいな不運なケースもありますが)経験があるというのは貴重な財産にもなります。急になにかに目覚めて「小中学校の在り方に疑問がある!俺は行かん!」ってなった人とはたぶん違います。

よく「教育の質が低くなっている」「学級崩壊が問題」などを理由に挙げて学校なんか行かなくていいと言う大人もいます。質が低いと言っているその学校で行うカリキュラムを別の場所で全部補えるなら、特に何も言う事はないです。一時間大人しく座学する忍耐力とか、時間内に着替えたり教室を移動して準備するといった備えのバランス感覚の養成とか、集団行動の体験とか、学校以外でこのパッケージを人間にインストールするのって、結構大変ではありますが。



つー事で。
別に行こうと思えば行けるけど何か信条とか哲学的な事情で小中学校に行かないって選択の場合は失くすものがでかいというよりは得られないものがでかい。というのが僕の考えです。得なくても困らないならいいと思います。自分以外の人間がたくさんいるところで活動する予定がなく、かつ少数の取引先との正しい折衝を学べる環境が子供の頃から既にある、とかなら。

そういった特殊な環境を持ってたり、確固たるビジョンがあってそれを実現出来る設計図を作り終えてる、作ってる、とかなら別に小中学校なんか行かなくていいです。


でも、特にそういうのが無いなら、コントローラーの調整をする意味も兼ねてうんこみたいにつまらない学校ですが行っとくのが丸い選択肢だと思います。僕もまだ割り当てられてないキーがいっぱいあります。このボタン、何に使うんだろうな?押してみたら頓珍漢な言葉を発射して話相手をキレさせるボタンでした。なんで僕についてんだろうな、このボタン。